『鳥たち』の舞台となる、セドナの“赤い土地”
小説『鳥たち』の主人公、「まこ」と「嵯峨」は、かつてアリゾナでともに暮らした幼馴染み。それぞれの両親を亡くして天涯孤独になり、日本に戻って身を寄せ合い暮らしている。悪夢にさいなまれるまこと、パンづくりに打ち込む嵯峨。家族を失った悲しみを抱えながら、ふたりはゆっくりと自分たちの人生を築いていく。
管啓次郎(以下、管) 『鳥たち』は、アリゾナ州のセドナが大きな役割を担う作品ですよね。
ぼくは以前アメリカ南西部には5年ほど住んでいて、あのあたりのこともよく知っています。以前よしもとさんに文庫解説を書いていただいた、ぼくの2冊目の本『狼が連れだって走る月』(河出文庫)の文章は、その南西部、アリゾナやニューメキシコで書いたものがほとんどでした。
ばななさんは、なぜ今回、セドナという場を舞台にすることを思いついたんですか。
よしもとばなな(以下、よしもと) ちょっと前から、1970年代の米国をよく知っている若いカップルのことを書きたくて、いちどカリフォルニア州のシャスタという町を取材で訪れてみたんです。すごく平和な感じがして空気もよかった。
管 北カリフォルニアの町ですね。美しい姿のシャスタ山が望めて、アメリカ先住民の聖地になっている。
よしもと そう、ただ、そこはあまりに清らかすぎて、その土地から何かを書くことはとてもできなかった。
そのあと、たまたまアリゾナ州のセドナに行ったら、こんどはなんだかずいぶん怖いところだった。そこは急に世界が「赤」になるんですよ。
管 砂岩でできた岩山ばかりの土地で、鉄分を含んだ岩が赤いんだけど、夕日を浴びたときなんて、その赤が尋常じゃない色になるんですよね。
よしもと それでも、けっこう癒しの場なんて言われるんですよ、セドナって。穏やかでピースフルだという。
だけど私は、怖くてしかたなかった。いつでもなぜかヒヤヒヤしてる。でも今回は、そういう怖いところを小説に出したかったから、セドナが小説のなかで大事な場所になったんです。
管 あの土地の赤さには、人の心を掻き立てるもの、騒がせるものがありますね。そんな土地柄なので、スピリチュアルなことに興味のある人が集まって、コミューンをつくって暮らしたり、観光に来る人もけっこう多い。
よしもと パワースポットと呼ばれるのは、たしかによくわかりますよ。
管 『鳥たち』は、まさにそうした方面に強い関心を持つ父母に育てられた、2人の子どもの話です。1970年代前後のアメリカの対抗文化が、背景にしっかりとある。もともとそのあたりの時代に興味があったんですか?
よしもと 私が小さいころって、そういう雰囲気がかなり強かったんですよ。独特の、のんびり感を持った学生なんかが、よくいたでしょう。お金なんかよりも、自分がどう生きるかばかり考えているような。そういう人たちを両親に持った子どもたちを、今回は書いてみようと思ったんです。
管 その時代の空気はよくわかります。70年代といえばぼくの中学高校時代で、初めてアメリカへ行ったのも中学生のときでした。夏休みの、農場での3週間のホームステイ体験だったんですけど。そのころはローティーンにまでヒッピーカルチャーが浸透していた時期でした。ベルボトムのジーンズを穿いて、絞り染めのシャツを着て、人と会ったらピースサインを交わす。いまみんなが写真を撮るときにする「ピース」じゃなくて、本来の意味でのピース。そういうのが生きていた時代でした。
なぜそんな文化にあれほど惹かれたかといえば、その根底にはベトナム反戦の思想があったからです。アメリカという国がよそへ行って人を殺し、それが確実にだれかのお金儲けにつながっているということが、あからさまにわかっていた。それでアメリカの若者たちに、自分はそういう社会に参加したくない、ドロップアウトするんだ、という考えがあった。
よしもと それがしっかり根底にあってのファッションだったり、生き方だったはずだと思います、ほんとうに。
うまく生きられないほど純粋できれいな人を書きたかった
『鳥たち』の作品内で重要な位置を占める、「夢」の効能。おふたりにとっての夢や睡眠の価値とは?
管 『鳥たち』では、「夢」が大きな役割を果たしているでしょう? 大事な仕事が夢のなかでおこなわれて、彼女の心が治っていく。感動したのは、最後のほうの場面で、嵯峨くんがあることに気づく場面です。「まこ」ちゃんに向かって、「夢を変えたろ?」というんですね。夢の内容がおのずから変わったんじゃなくて、無意識のなかで彼女自身の意志で変えたんだということに、嵯峨くんが気づく。この違いは大きい。夢とはどんなものなのか、嵯峨くんはしっかり理解している。この作品で重要な位置を占めるだけじゃなく、夢ってばななさんにとって、とても大きなものですよね。
よしもと 夢でよく、小説のオチを見たりもしますよ。セドナにいたときは、怖い夢を毎日見ましたね。
管 やっぱり人は、ちゃんとたっぷり寝たほうがいいですね。ばななさんみたいに、夢の中でも仕事は着実に進みますから。
いま、みんな睡眠時間がどんどん短くなっているでしょう。アメリカでの調査だと、都市生活をしている人は、1950年代には8時間寝るのがあたりまえだったのに、いまでは5時間台になっていたりする。じゃあその起きている時間で、何をしているかといえば、仕事しているか、インターネットでジャンク情報を溜め込んでいるだけ。買物したり。寝ずにずっと起きていると、ぜんぜんいいことない。労働と消費と情報に、どんどん自分が食われていくだけです。無意識の世界までが侵食されていく。
そんなことはやめて、ゆっくり寝たほうがいい。睡眠がいちばん革命的だというのが、最近のぼくの説です。それだけで、人生が変わってくると思うけど。
よしもと この小説を書いたときに思っていたのは、最近あまりにもみんな、せかせかしているようだから、とにかくゆっくりと悩む人を書きたいなということ。あと、とにかく暗い人とか、ずっと悩んでいる人を書きたかった。なんか、睡眠の話とシンクロしそうじゃないですか?
管 そうですね。この作品は、人にとってより自然な状態ってなんだろうということを、ずっと考えている感じがします。そのつながりでいうと、嵯峨くんの名前の由来ってどこなんですか? 山扁の漢字がふたつ並んでいますね。山があり、道がある、そういうところにいるのが人間にとって自然なことであるというのが、作品の根本にある思想なんじゃないかと思いました。
嵯峨くんの仕事が、パンをこねることだというのもいい。こねる、というのは人ができるもっとも美しい行為のひとつです。しかもパンづくりには、酵母の力を借りる。酵母って、母という字が入ってくるし。『鳥たち』は母親をめぐる話でもありますから。こうしていろいろなものが、つながっていく。ばななさんはそれをひと目で見抜いて、物語を紡いでいるんでしょうね。
よしもと うーん、とくにそこまでは考えていなかった(笑)。
管 じゃあそれは寝ているときに、無意識の仕事としてやっていたのかな。
よしもと ただ、ふたりのお母さんたちは、すごく魅力的な人だったんだろうなと、書いている間ずっと思ってました。お母さんたちが登場する場面でも、見た目なんかはあえてあまり書いていないけど、もう、この世でうまく生きていけないくらい純粋できれいな人たちだったんだろうというのは、自分のなかで推測できていた。
実際、私のまわりでも、そういう感じの人が、世の中に疲れたり具合悪くなったりしているのを見かけるので。そんなきれいな人がいたとか、存在するんだということを書きたかったんです。
管 きれいな生き方をする人が、厳しい現実に打ちひしがれる時代なのかなというのは、つねに思いますね。
よしもと そういう人も、できるだけ睡眠をとるといいと思います。モヤモヤしたものが、すごくすっきりしますよ。
管 そう、よく眠って、仕事はあまりせず、お金はほとんど使わないほうがいい(笑)。
次回、よしもとばなな×管啓次郎 後編「先住民にとって、人間が宇宙のどの位置にいるかがいつも大問題」は3/23更新予定。青葉市子さんがゲストとして登場です!
構成:山内宏泰 撮影:黑田菜月