​勝者が正しいって本当?

「強い」と「弱い」は絶対的な価値なのか?
強い者が正しくて、弱い者が間違っている……とは限らない。
「弱さ」について考えるとはどういうことか。

「正しさ」は証明できない

 ぼくたちは日々、相手が悪くて、自分こそが絶対正しいと主張し合う者同士の衝突を見ている。

 実際の歴史を見てみれば、やはり、非は相手にあり、正義は当方にあると主張する共同体同士、国家同士の対立や争いが繰り返されてきた。けんかも戦争も、互いに「正しさ」を主張し合いながら、結局どちらも自分の「正しさ」を証明することができずに、「強弱」で決着をつけようとする。

 そして、勝者、つまり強い者が正しく、負者である弱い者が間違っていたかのようなイメージがつくり出される。実に変な話だ。

 ともあれ、時と場合によって、社会によって、時代によって、人によって価値観が異なることもある、ということを心に刻んでおいてほしい。自分自身の内でさえ、年齢によって、季節によって、日によって、「正しい」の意味が変わることはあるのだから。

 そう考えれば、他の人たちがきみとは異なる価値観をもっていることに対しても、もっと穏やかで広い心で接することができるだろう。

あべこべのくに

 ぼくの大好きな詩人、長田弘の「ねむりのもりのはなし」という詩に、「あべこべのくに」のことが出てくる。

 いまはむかし あるところに

 あべこべの くにがあったんだ

 はれたひは どしゃぶりで

 あめのひは からりとはれていた

 ・・・

 つよいのは もろい

 もろいのが つよい

 ただしいは まちがっていて

 まちがいが ただしかった


 ぼくたちの言う「強さ」が弱さで、逆に、「弱さ」が強さだという社会が、地域が、時代があったかもしれない。ぼくたちが「正しい」と信じていることが間違いで、逆に、「誤り」の方を正しいと感じる文化があったかもしれない。

 そういう可能性を想像できるようでありたい。自分自身や自分が生きている社会が絶対ではないことを心に留めておく心の広さ、間違っていることを正しいと思いこんでいるかもしれないと考える謙虚さが必要だと思うのだ。

 だれも、そしてどの社会も、間違いをおかしてしまう危うさをいつも抱えている。そのことを英語で“ファリブル(fallible)”というが、この言葉の語源は「だます」で、それは、そもそも「信じる」ということが「自分をだます」という側面をもつことを示している。

 「強さ」「弱さ」について考えることは、だから、この一対の言葉にまとわりついている価値判断を一度外して、これまでそれを信じることで、もしかしたらだまされていた自分を解き放ち、自由にしてあげること、でもある。「自分をだます」のもぼくたち人間が抱えている「弱さ」の一種だと言えるだろう。

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弱虫」でいいんだよ

辻信一

私たちの生きる世界では「終わりなき経済成長」をテーマに人々が邁進しています。それをこなすのは大変です。誰もが効率的に働かなければ世界が回らないと思い込んでいます。過剰な世界を支えるのは「強い人たち」です。健康で体が強く、より早く、より...もっと読む

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コメント

Kanaerror 戦いに勝利すればそちらが正しいという世の中は、すなわち、力でねじ伏せる正義がまかり通る世の中だ。でもみんなそちらに流されてしまうのも、事実。面白い記事です。 >勝者が正しいって本当? 5年弱前 replyretweetfavorite