第86回】ドイツでの麻疹流行の背景と、伝染病をバカにできない理由

ドイツのシュトゥットガルトに在中の川口マーン惠美さんが、EUから見た日本や世界をテーマにお届けするコラムです。


〔PHOTO〕gettyimages

ドイツで義務付けられている予防注射はペットの狂犬病のみ

ドイツで麻疹(はしか)が流行っている。ベルリン(人口340万人)では今年に入りすでに500人が罹患し、死者まで出た。これ以上の感染を防ぐため、今週、ギムナジウムが1校、学校閉鎖になった。

麻疹は、予防注射さえすれば克服できる伝染病だ。21世紀の今、ドイツという世界に名だたる先進産業国の首都で、麻疹が流行しているというのが信じられない。しかし、2年前、すでにその兆候は出ていた。2013年、私は本コラムで麻疹のことを一度書いている。

ドイツでの麻疹患者は子供だけでなく、大人も多い。今年最初の6週間で、すでに去年1年間の罹患数を超えた。流行の原因は、予防接種をしていない人間が増えているからである。WHOによると、麻疹が大流行にならないためには、全体の95%の人間が予防接種を受けている必要があるそうだが、ドイツは現在、2度の予防注射を済ませた人間が92%と、安全圏に届いていない。

アメリカでは全州で麻疹の予防注射が義務だが、宗教上の理由で拒否することが認められているため、予防注射をした人の割合は90%前後というのが実態だそうだ。日本でも散発的に患者が発生するが(年間200~300人)、大事に至らないのは予防接種率が高いからだという。

ドイツでは、予防注射の費用は医療保険から給付金が支払われる。しかし、麻疹に限らず、予防注射はいっさい義務ではない。麻疹の予防注射は1973年よりずっと推奨されてはいるが、実際に受けるかどうかは本人の自由である。ドイツで義務になっている予防注射は、犬や猫の狂犬病だけだ。

他のEU加盟国では、それなりに予防注射の義務がある国が多い。しかし、ドイツと並んで、スイスとオーストリアでも任意のため、EUのこの一角には麻疹の免疫を持たない人が少し多いのかもしれない。

ドイツの団塊世代は国家を敵視する傾向がとりわけ強い

麻疹は、天然痘とチフスと並んで、死亡率の高い病気だ。感染力も強い。大人が麻疹にかかると重症化しやすく、命にかかわる。命は助かっても、後遺症が残ることが多い。もっとも、先日亡くなったのは、1歳半の子供だったから、大人にとっても、子供にとっても、罹れば怖い病気であることは間違いない。

ドイツで、予防注射が義務でない理由は、反対意見が多いからだ。ドイツには、国家を敵視している人がけっこういて、そういう人たちにしてみると、予防注射の義務化は、個人の自由に対する国家の干渉ということになるらしい。「個人の肉体への不当な攻撃」という言葉も使われていた。予防注射が、である。

なので、子供が予防注射を受けるかどうかについての決定は保護者に委ねられている。あえて子供に予防注射を受けさせないという親が現れたのは、30年ほど前だったという。ちょうど団塊の世代(ドイツにも団塊の世代がある)の人々が親になった時期だが、この世代は国家を敵視する傾向がとりわけ強い。

そして今、彼らの子供、つまり、予防注射を受けていなかった子供たちが親になり、子供を産み始めた。生まれてくる赤ちゃんは、普通ならお腹の中で母体から受け継ぐはずの免疫を持っていない。母体から貰う免疫の効き目は1年ほどでなくなるので、どっちにしても、そのあと子供は無防備になる。だから、予防注射で免疫を補わないと、万が一、麻疹のウイルスと接触したとき、罹患の危険が高くなる。麻疹がまだ猛威を振るっているような国へ行くときは、なおさら危険だ。

また、国家権力への反発ではなく、単に、予防注射が誘発するかもしれない疾病を恐れて受けさせないという親もいる。もちろん稀に、予防注射が原因で病気になることはあるが、その確率は100万分の1にも満たないそうだ。しかし、麻疹にかかると、1000人に1人は死亡するので、予防注射の弊害を恐れて注射をしないというのは、あまり賢明な決断ではない。

さらに、自然志向の強い人たちのあいだには、子供はいろいろな病気にかかって、自然に免疫を付けるべきだという考え方も多い。しかし、前述のように、まるで免疫がないと、麻疹にかかりやすく、かかれば重症になる確率が高い病気なので、あまり簡単に考えないほうがよいかもしれない。

なお、麻疹患者がドイツにはあまりいないので、注射などしなくても大丈夫と思うのも間違っている。先進国で麻疹患者がいなくなったのは、別に、我々が清潔な場所で暮らし、栄養がよいからだけではない。国が予防注射の徹底に力を注いだ結果なのである。

その証拠に、国が公衆衛生に投資しない、あるいは、できない場所では、今でもあらゆる疾病が蔓延し、多くの命が失われている。国が行っている多くの保健事業は、あまり目につかないが、その効用はとても大きい。

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シュトゥットガルト通信

川口マーン惠美

シュトゥットガルト在住の筆者が、ドイツ、EUから見た日本、世界をテーマにお送りします。

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