小学校2年の頃だ。
ある日の授業中、自分の家族がどんな仕事をしているのかを、生徒一人一人がスピーチすることになった。
級友たちが、名簿のアイウエオ順に「私のお父さんは会社で橋をつくっています」とか、「私のお母さんは看護師さんです」とか、教壇に立って話してゆく中、私は嬉々として、自分の番を待っていた。
しかし。私の番が回って来たとき、それまでニコニコしながら生徒の返答を聞いていた、女性教師の顔色がさっと変わった。彼女は私を名指ししたあと、私が話しはじめるよりも早く、1オクターブ高い声でおおげさにかぶりをふり、
「小野さんのお父様は、単身赴任でアメリカに行ってらっしゃるんだもんね。お一人で研究しに行かれてるなんて、立派なお父様よねぇ。はい、次」
と、なぜか私を飛ばして次の人を指名したのである。
私は仰天した。
飛ばされたことにもだが、その話の内容に、である。
なにそれ。そんなこと、聞いてない。
なぜ、家族でもない先生が、私が知らない家族の事情をそんなに知っているのか。
なぜ、私は飛ばされたのか。
誰しも人生の中で、ある日を境に世界の見方が突然、それまでとは全く異なるものになってしまった瞬間があると思う。私の場合、それはこの瞬間だった。
先生の、ひきつれた口元、おおげさな態度、困ったように泳ぐ目を見た時。幼い私は、「ああ、世界というものは、どうやら、私が知っていることだけでできているわけではないのだ」という事実に、ぱつんと行き当たってしまったのである。
その先生の一言を境に、私の中で、世界はばくんと二つに割れた。すなわち、「正しい家族」なんてものの存在を、考えずに済んでいた世界と、それを疑いはじめた世界に、である。
そしてそれは、指で乱暴に割ったゆで卵のように、決してもとには戻らない。
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