電気サーカス 第18回

電話回線とテレホーダイでネットに接続していた時代。『テキストサイト』をはじめた“僕”は、家を出て高校時代の友人たちと共同生活を開始、サイトを通じて知り合った宇見戸に誘われてオフ会に参加したりと気ままな毎日を過ごしていた。

 夏と兼用の薄っぺらい制服に、真冬の外気は冷たかった。白い息を吐きながら、いつもの場所に設置したスタンド看板の前にかがむと、電源コードを入り口の内側にあるコンセントに繋げる。するとそこでタバタさんが出勤して来るのと出くわした。
「おはよう」
 挨拶をするタバタさんは冬だというのに肌を小麦色に焼き、髪を明るく染め、黒いコートとブーツを身につけた当世風の姿格好をしている。僕の目の前にはむきだしの太腿があり、そこに鳥肌が浮いていた。
「おはよう」
 そのぶつぶつした足を見ながら返事をすると、
「ごめんね。寝坊しちゃって。昨日オールで飲んじゃってさ」
 彼女は申し訳なさそうに言って、僕が別に気にしていないと返すと、小走りに階段を上って行った。
 コンセントを繋ぎ終えた僕は、立ち上がってのびをする。そろそろ気持ちを切り替えなくてはいけない。これから、今日の賃金労働が本格的に開始されるのである。
 このカラオケボックスは、本格的な厨房が併設され専門のシェフもいる、高級志向とは言い過ぎだとしても比較的高い価格帯の店だった。しかし、昼間のフリータイムは近隣の競合店のどこよりも安い。だから開店と共に、金はないのに時間ばかりが余っているような若者がどっと押し寄せて来るので開店直後は結構忙しい。
 ただ、一旦満室になってしまえば後は暇なものだ。安価なフリータイムを利用するような若い客達は時間一杯部屋で粘ろうとするし、追加のドリンクも頼まない。彼らはひたすら歌い続けている。そうした客で部屋がうまれば、あとはバックルームにこもって雑談でもしていればフリータイム終了の時刻まで勝手に時間が過ぎて行く。この店の早番の仕事とは、まあそういうものだ。あまりにも長い時間二人きりでいるので、同僚に嫌いな奴しかいないのなら苦しい時間だろうけれど、僕はそうでもない。
 基本的に男の従業員は遅番に振り分けられるのだが、僕はなぜか早番のシフトを組まれることが多い。そして僕以外の早番は全員若い女であった。すると、働きに来れば必然的に彼女のうちの誰かと、ほぼ二人きりで一日を過ごすことになるわけだ。女同士では色々と好き嫌いがあるらしいが、僕は何故か人畜無害扱いされて、彼女たちの政治闘争の外側に置かれている。だから割合誰ともうまくやれている。もしかしたら、相性の悪い相手がいないから男なのに早番ばかりやらされているのかも知れない。
 なんにしろ、これほど楽なアルバイトはかつてやったことがない。若い女の世間話にジュース片手にうんうんと頷いて、それで時給が発生するのだから容易なものだ。こんな職場だから、引っ越して通勤時間が長くなった今でも、めげることもなく通い続けていられる。
 大体世の中には、良い職場というものは少ない。楽しく平和に過ごせる職場というものは少ない。いや、楽しくないことをするから金を貰えるのだと、それはわかっているのだが、しかし理想というものがあるじゃないですか。そうそう、今は不況でもあるのだし、かつて好景気だった時代よりも悪い仕事が増えているわけでしょう? だから僕も、ここのアルバイトを見つけるまで、どこにも落ち着かずに職場をとっかえひっかえしていたのも、半分くらいは世の中のせいなのだと思うようにしている。
 あの頃に挑戦したアルバイトのうち最悪だったのは、地下鉄の工事現場の仕事だったろうか。そこは中上健次の小説の主人公が、強姦をする前に働いていそうな現場だった。地下の奥深くで職人がドリルで掘り崩したコンクリートの瓦礫を、ガラ袋一杯に詰めて地上まで担いで登るのだけれど、肉体的に過酷なのはもちろん、空中に舞い上がる粉塵が視界を真っ白に染めて、それを吸い込むとマスク越しでも口元が真っ黒になるのが辛い。おまけにその時僕は感冒にかかっていたので、次第に意識もぼんやりとし、ここが自分の墓場になるのだと確信した。

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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