ドイツから単身帰国。高校生でひとり暮らしを始めた
藤野英人(以下、藤野) 元榮さんは、弁護士でありながら起業するという珍しい経歴をお持ちです。今回は、どのようにして起業するにいたったのかを、子供時代からさかのぼってうかがおうと思います。もともとどのようなご家庭で育ったんですか?
元榮太一郎(以下、元榮) 僕が生まれたのは、ごく普通のサラリーマン家庭です。父が大手電機メーカーの技術者で、海外赴任などもよくありまして。私はシカゴに赴任している時に生まれたので、アメリカ生まれなんです。3歳で神奈川の辻堂に戻ってきて、そこの団地で育ちました。三人兄弟で、ごくつつましやかな暮らし。
藤野 海外赴任などもあるというと、なんとなく華やかなご家庭のイメージです。
元榮 いえいえ、全然ですよ。外食はほとんどしなかったし、父が9人兄弟の末っ子、母も4人兄弟の末っ子ということもあって、洋服もいとこがたくさんいたので、ぜんぶお下がり。初めて着るときから毛玉がついてるんです(笑)。でもね、同級生を見ると、外車に乗って、大きな一軒家に住んで……という豪華な暮らしをしてる子もいました。そういう家のお父さんの職業は、きまって中小企業の社長さんだったんですよね。そこから、まだ考えが未熟だったので、会社員だとあまり豊かな暮らしができないのかな、なんて思っていました。
藤野 ご両親の経済観念がしっかりされていた、というのもあるでしょうね。
元榮 そう、今なら分かるんですよ。ファミコンを買ってもらえなかったのも、教育方針だったんだろうなって。でも、その当時は、「うちは、ファミコンを買うお金もないのか……」とがっかりしていました(笑)。
藤野 日本って、大企業のサラリーマンの家庭で育った人の起業率が非常に低いんですよ。時価総額上位100社で働く親を持つ人から、起業家はほとんど出ていないんです。そういう意味でも、元榮さんは特殊ですね。むしろ日本だと、農業の家で育った人が起業する率が、5%〜10%とけっこう高い。これは世界でもめずらしいことなんです。
元榮 へえ、なぜなんでしょう。
藤野 他の国では、農家の家に生まれたら、農家を継ぐんです。日本は、意外と世代ごとにキャリアチェンジができる国なんですね。きっとこれから20年くらいかけて、日本でも大企業勤めのご両親をもつ家で育った人の起業が、増えていくと予想しています。元榮さんはその先駆けかもしれませんね。
元榮 そのあと、中学2年のときに、父がドイツに赴任することになって、ドイツに引っ越すんです。でも、友達と離れるのが嫌で、全然僕は行きたくなかった。思春期だったこともあって、反抗してドイツにまったく馴染みませんでした。いま考えると貴重なドイツでの生活を大いに楽しめば良かったのですが、けっきょく高校1年になるときに、ひとりで日本に戻ってくるんです。そこから、ひとり暮らしを始めます。
藤野 思い切った決断ですね。
元榮 それまで、親の期待に応える優等生として生きてきたんですね。でも、この決断をしてからは、自分らしく生きたいという思いが強まりました。まあ、若者のひとり暮らしですから、自由奔放極まりなく、“場数踏みたい感”がすごくあったからか、進学校では独自の存在だったと思います。
藤野 場数踏みたい感(笑)。
元榮 とにかく、いろいろやってみたかったんです。で、高校1年の4月から新聞配達をやってみました。でも、朝起きるのがつらくてつらくて。本当は4時から配りはじめ5時に配り終わらなきゃいけないのに、僕のエリア担当だけ6時までかかってたんですよ。