自分だけの「仮説」を導き出すために
なにかを考えるときには、「考えるための材料」が必要になる。
そしてよのなかに散らばっている「材料=情報」は、自分で探すしかない。
しっかりとアンテナを張って、足も使って、周りのみんなが見落とすくらい些細な情報に眼を向けられる観察力が欠かせない。
特に、常識を疑い、自分の考えを疑うくらいの「もうひとつの眼」を持つこと、つまり「複眼思考」が大切になる。
ここまでの話は、わかってもらえたと思う。
でも、そうやって集めた「材料=情報」は、まさにバラバラのレゴブロックのようなもの。なんのかたちにもなっていないよね。情報をたくさん持っていても、それを使いこなせなければ、意味がないんです。
じゃあ、どうするか?
そう、考えるんだよ。ブロックを眺め、手に取って、見比べる。頭のなかで右に左に動かしながら、組み合わせを考える。「このブロックを組み合わせていけば、こんな姿になるんじゃないか?」という設計図をつくっていく。最終的な「答え」じゃない。まずは設計図をつくるんだ。
ここでつくりあげる設計図のことを、「仮説」と呼ぶことにしよう。
いいかい? これ、大事なポイントだよ。
〝正解〞のない成熟社会で、ぼくらが導き出せるのは、あくまでも「仮説」にすぎない。その「仮説」を最終的な〝納得解〞にまで
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