正解」のない社会で生きるには?

「正解」の定義がない今の社会では、「先生」をひとりの「先輩」としてななめの関係を築く必要があると藤原和博さんは綴ります。現代の様々な問題を「納得解」という新しい学習法で考える「よのなか科」の授業とはどのような内容なのでしょうか。 中高生とその親のために書き下ろした藤原さんの新刊、『たった一度の人生を変える勉強をしよう』(朝日新聞出版)の内容の一部をcakesで公開していきます。

読み書きソロバンの「次」の力

これからの「成熟社会」に必要なあたらしい力とは、具体的にどんなものなのか。

もう少し具体的に考えていこう。

成長社会の時代に求められていたのは、1秒でも早く〝正解〞にたどりつくための「情報処理力」だった。

たとえるならこれは、ジグソーパズルを完成させるときの力だ。

何百というピースがバラバラになったジグソーパズル。そのパッケージには、「完成したらこうなるよ」という絵が描かれている。つまり最初から〝正解〞が与えられているわけだ。

そして、ピースの形状やそこに描かれた絵を頼りに、それぞれ適切な場所に配置していく。どのピースがどこに埋まるかはあらかじめ決められてるし、ひとつでも場所を間違えたら、パズルは完成しない。ジグソーパズルとは、与えられた情報(ピースの絵や形状)を素早く処理していく能力、すなわち「情報処理力」が問われる知的ゲームなんだよね。

一方、成熟社会に〝正解〞はない。

ジグソーパズルみたいな「完成したらこうなるよ」という〝正解〞もないまま、課題に取り組まなくてはいけない。たとえるならこれは、レゴ®ブロックを組み立てるような力といえるだろう。

たとえばレゴブロックで犬をつくることになったとき、手持ちのブロックをどう組み合わせて、どんな犬をつくるのか。大きさはどれくらいで、犬種はどうするのか。

柴犬しばいぬなのか、ブルドッグなのか、それともダックスフントをつくるのか。すべては、つくり手のみんなにゆだねられる。

100人の人がつくったら、100通りの犬ができあがるはずだ。

こうやってレゴブロックを組み立てていくような力のことを、ぼくは「情報編集力」と呼んでいるんだ。手持ちのブロック(情報)を組み合わせて、あたらしい答えを生み出していく力。誰かがつくった〝正解〞にたどりつくのではなく、手を使い、足を使い、頭をフル回転させて、自分だけの答えを「編集」していく力。自分の持っている技術、知識、経験のすべてを組み合わせてつなげ、「編集」していく力。

正解をめざす「情報処理力」とは、まったく違った力だ。

さて、ここでみんなは大きな問題に直面する。

よのなかに〝正解〞が存在した時代には、その正解を教えてくれる「先生」がいました。学校の先生はもちろん、家庭では両親やおじいちゃん・おばあちゃん、さらには会社の上司までもが、先生としての役割をになってきました。

そもそも先生って、「先に生まれた人」という意味の言葉なんだよね。

先に生まれた人は、すでによのなかの〝正解〞を知っている。だからこそ、お父さんやお母さん、会社の上司たちも「先生」として、たくさんの〝正解〞を教えることができた。ここでの正解は、〝常識じょうしき〞と言い換えてもいいかもしれません。

一方、正解の失われた「成熟社会」ではどうだろう?

先に生まれたってだけで、ちゃんと先生の役割を果たすことができるかな?

古い時代に〝正解〞だったことが、いまや〝時代遅れの常識〞だったりすることはないかな?

そう。よのなかに〝正解〞がないということは、その正解を教えてくれる「先生」もいない、ということなんだ。

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たった一度の人生を変える勉強をしよう

藤原和博

暗記中心の「勉強」は、もはや役に立たない。では、かわりに何を学べばいいのか? 世の中の様々な問題を学習する「よのなか科」の生みの親である藤原和博さんが、中高生とその親のために書き下ろした新刊、『たった一度の人生を変える勉強をしよう』(...もっと読む

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