読み書きソロバンの「次」の力
これからの「成熟社会」に必要なあたらしい力とは、具体的にどんなものなのか。
もう少し具体的に考えていこう。
成長社会の時代に求められていたのは、1秒でも早く〝正解〞にたどりつくための「情報処理力」だった。
たとえるならこれは、ジグソーパズルを完成させるときの力だ。
何百というピースがバラバラになったジグソーパズル。そのパッケージには、「完成したらこうなるよ」という絵が描かれている。つまり最初から〝正解〞が与えられているわけだ。
そして、ピースの形状やそこに描かれた絵を頼りに、それぞれ適切な場所に配置していく。どのピースがどこに埋まるかはあらかじめ決められてるし、ひとつでも場所を間違えたら、パズルは完成しない。ジグソーパズルとは、与えられた情報(ピースの絵や形状)を素早く処理していく能力、すなわち「情報処理力」が問われる知的ゲームなんだよね。
一方、成熟社会に〝正解〞はない。
ジグソーパズルみたいな「完成したらこうなるよ」という〝正解〞もないまま、課題に取り組まなくてはいけない。たとえるならこれは、レゴ®ブロックを組み立てるような力といえるだろう。
たとえばレゴブロックで犬をつくることになったとき、手持ちのブロックをどう組み合わせて、どんな犬をつくるのか。大きさはどれくらいで、犬種はどうするのか。
100人の人がつくったら、100通りの犬ができあがるはずだ。
こうやってレゴブロックを組み立てていくような力のことを、ぼくは「情報編集力」と呼んでいるんだ。手持ちのブロック(情報)を組み合わせて、あたらしい答えを生み出していく力。誰かがつくった〝正解〞にたどりつくのではなく、手を使い、足を使い、頭をフル回転させて、自分だけの答えを「編集」していく力。自分の持っている技術、知識、経験のすべてを組み合わせてつなげ、「編集」していく力。
正解をめざす「情報処理力」とは、まったく違った力だ。
さて、ここでみんなは大きな問題に直面する。
よのなかに〝正解〞が存在した時代には、その正解を教えてくれる「先生」がいました。学校の先生はもちろん、家庭では両親やおじいちゃん・おばあちゃん、さらには会社の上司までもが、先生としての役割を
そもそも先生って、「先に生まれた人」という意味の言葉なんだよね。
先に生まれた人は、すでによのなかの〝正解〞を知っている。だからこそ、お父さんやお母さん、会社の上司たちも「先生」として、たくさんの〝正解〞を教えることができた。ここでの正解は、〝
一方、正解の失われた「成熟社会」ではどうだろう?
先に生まれたってだけで、ちゃんと先生の役割を果たすことができるかな?
古い時代に〝正解〞だったことが、いまや〝時代遅れの常識〞だったりすることはないかな?
そう。よのなかに〝正解〞がないということは、その正解を教えてくれる「先生」もいない、ということなんだ。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。