余計なお世話か・・・。
頭の中で呟いたつもりだったが、口から音声となって出ていた。祐介の旋毛が向こう側に沈み、ふたつの丸い瞳がオレを捉えた。捉えてはいるが、遠い目をしていた。この子の視神経はオレなんかをとっくに通り過ぎ、ヨケイナオセワという未知の音を探しにいってしまったようだった。
「おでん、食おうっと」
オレは竹輪麩に手を伸ばして、勝手に頬張った。祐介には、あえて「食べろ」とは言わないことにする。余計なことは言わないほうがいいのだ。
オレがおでんを咀嚼していると、模擬店に戻った女子大生と目があった。彼女は子供たちにおでんを掬ってあげながらも、その目はオレに向けたままだった。ゆうくんのこと、頼みますね。
その眼力は、ある目標を見据えた自信のようなものに裏打ちされ、力強かった。オレはこの部屋のボランティア仲間からそういった視線を浴びせられるたびに、いきなり学級委員に指名された劣等生のような気分に陥った。
とりあえず、遺児たちの話に耳を傾けていられるほどにはなった。でも祐介のように心の奥に沈む思いを言葉にして、口から出せるわけじゃない。「ねぇ、自殺は遺伝するって、本当?」そんなふうに他人に訊くことができた小学三年生は、オレよりもずっとずっと偉いのだ。
残り5ピースになっていた。もうその子の頭では、最後の「チャンチャン」の手作りピースをはめ込んだ完成図が見えてるはずだ。そして前回、オレが宿題として持ちかえった質問の答えを訊けると思っている。オレは、何か言ってあげなくちゃならない。
なんて答えればいいんだ。この次まで考えてくるだとか。調子いいこと言っちゃって。
オレが自身の殻に閉じこもる時の常套手段で、ひとり脳内会話が始まっていた。その会話は、誰かに呼び止められるとか、何かの外的要因が加えられない限り延々と続くことになる。
で・き・た。
祐介は消え入るような声を漏らして、オレを見た。今日この子と目を合わせたのは、何回目だろう。そのひとつひとつがそれぞれ意味を持っていて、それがオレとこの子とを結ぶ細い糸にさまざまな彩りをつけていく。
今、祐介ははじめてのパズルが完成してとても嬉しい。だが、手放しで喜べるほど解放感に浸れることはできない。何かの霊に憑りつかれた人のように、いつも恐怖という得体の知れないものが纏わりついている。ねぇ、自殺って遺伝するの? ぼくもいずれ死んじゃうの?
祐介はオレと目を合わせたものの、何も言ってもらえないと知るとテーブルに目を落とした。オレはその旋毛に、大丈夫だよ、自殺が遺伝するわけないじゃんと掌を翳してあげるべきなのだ。祐介の旋毛の渦を見つめていると、脳が都合よく考えるのを放棄して、頭の中のさまざまな陰影は真っ白な光の中にかき消えていった。
ひょっとして、すこし眠ってしまったのかも知れない。
それは徹夜が続いていたからか、それとも逃避によるものなのかは分からない。でもとにかく目蓋を開いた時には、祐介は違うジグソーパズルに取りかかっていた。「チャンチャン」のピースのパズルは、もうきちんと透明のビニール袋に収納されていて、親父が切り抜いた完成図も入っていた。
ピースを持った祐介の指が、宙で迷いだす。
オレは気を取り直して、ピースを置く場所を指差した。そうか、という呟きがオレをほっとさせ、同時に自分の無力を思い知らせた。
その時、さっきの女子大生が手を叩き、ラジカセの音楽をあげた。ヒップホップの時間だった。今日は、新しいクラブステップ教えるよぉ。この間教えたストラット、できるようになった人ぉ。ダンス好きの子供たちが、嬌声をあげて彼女の周りに集まってくる。参加は自由。ボランティアのほうから子供たちを無理に誘うことはない。
オレと祐介は、ピースの山を壊さないように、長テーブルを壁際に移動することにした。前回、ダンスの震動でせっかく出来上がりそうだったジグソーパズルが崩れてしまったのだ。移動を終えると、オレと祐介はまるで密かに悪戯を企んだ仲間同士のように、小さく笑みを交わした。きっかけはなんでもいい。こんなふうに、共謀できる相手がひとりでも作れれば、今のオレのように上辺だけとり繕った卑屈でイヤなヤツにならないで済む。
ヒップホップの講習が終わり、部屋全体がざわつくころ、出入り口の向こうには迎えの親たちの姿があった。
この部屋での活動には、なるべく親はタッチしない。干渉されることに過敏になっている子供たちには、いつも近くにいる親とすこし離れて過ごす時間が必要だった。
祐介は、廊下に母親が来ているのを感じ取っている。
ちょうど最後のピースをはめ込んだところだった。だがどうしてもはまってくれないとでも訴えるように、両手の指でそのピースを押し付けている。力をこめ、顔を歪める。ピースはとっくに収まっているのに、まだ終えたくない。母親の手をつかみたいのに、つかむのが怖い。もうこの部屋を出たいのに、やはり出るのは怖いのだ。
「このパズル、貸してあげようか」
祐介は手を止めて、オレを見た。オレは自分がうまく笑みを作れていないのが分かっていた。祐介は、そんなオレを見つめながら小さく頭を振った。
「じゃぁ、次も持って来るよ」
そう言って、すぐに後悔した。そんなふうに、次に来た時にねと約束したことがあった。その約束を、オレはまだ果たしていない。
「ねぇ」
祐介の瞳が、オレの心臓を刺した。もう、あの質問から逃げることはできない。自分自身何年も何年も答えを見つけられないでいる疑問に、答えなくちゃならない。だが、祐介は急にどこにでもいる小学生の顔になって、こう言ったのだ。
「ビーエフエヌって知ってる?」
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