ご飯の一粒ずつに光沢のある「くふぁじゅうしー」
私の手元にある古波蔵保好『料理沖縄物語』は、朝日文庫の初版である。奥付を見ると1990年1月20日とある。元になる単行本は1983年に作品社から出版されたコラム集で、昭和後期の「今」の沖縄に対して、著者が生まれ育った大正から昭和初期の古き沖縄を料理という側面から描き、沖縄料理の原点と本質を知る好著としても定評がある。
今となっては正確には思い出せないが、手元の文庫版は、その出版年からそう遠くない時期に書店で購入したものだ。私は沖縄とその料理に関心があった。32歳、未婚だった。それから4年後、私は沖縄出身の女性と結婚し、その年の冬、初子の妊娠をきっかけに沖縄に移り住んだ。妻の実家、沖縄南部の漁村である。『料理沖縄物語』の世界で8年暮らすことになった。
本書の最初のコラム「律儀者の冬至雑炊」には、冬至の雑炊の話題があるが、沖縄に転居した年末、私もそれをいただくことになった。
さて、その冬至は沖縄のいいかたで「とぅうじ」、夏至は「かあちい」であるが、沖縄では冬至の夕食を雑炊にする習慣があった。
「雑炊」は「じゅうしい」と発音される。粥のようにすすりこんで食べる水気の多いのと、炊きこみご飯になっているのと二種類あって、どっちも「じゅうしい」という。
「じゅうしい」は、沖縄の有名な童謡「ちんぬく・じゅうしーめー」にもあるように、「じゅうしーめー」(雑炊飯)とも呼ばれる。私の妻の地域では、本土風の粥に近いほうを「ぼろぼろじゅーしー」と呼び、炊きこみを「くふぁじゅーしー」と呼んでいる。コラムでは作り方からそのできあがりまでが詩的に描かれていく。
はじめに、炊きこみ飯風の「じゅうしい」についていうと、といだ米に混ぜ合わせるは、小さくサイコロ形に切った豚肉、かまぼこ、人参と糸切りした昆布などである。煮ておいた豆(えんどう、隠元など)を取り合わせると、なおけっこうで、以上を釜に入れると水のかわりにダシ汁を注ぎこむ。さらに適量の醤油で味を調え、豚あぶらをタップリと落とすことがかんじんだ。この沖縄風炊きこみご版をおいしくするのも、つまらなくするのも、上手に豚あぶらを使うかどうかにかかっている。
豚あぶらが少ないと、炊きあがったご飯はシットリとならない。量が多すぎたら、ジトジトして、イヤ味になるわけだ。
うまく豚脂を使って炊きあげたのは、ご飯の一粒ずつに光沢があって、豚あぶらの香りも高く、その光沢と香りが食欲を誘う。豚肉、かまぼこなどは減らしても、豚あぶらさえ上手に加えてあれば、おいしいご飯になることうけあいだ。つまり豚あぶらの使い方が大事だということになるだろう。
上等な「くふぁじゅうしー」を食べたことがある人なら、「ご飯の一粒ずつに光沢」という表現がぴったりくることがわかる。こうした名文につられ、私も実際にどのようにそれを調理するか語りたくなる。語りだせば止まらなくなるので、関連した雑談、三つにとどめたい。
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