最終回】もはやメディアの「両論併記」型は、百害あって一利なし!

ここまで福島を考え続けることの難しさ、福島における放射線の実態、そこで起こる議論の構造について考えてきました。いよいよ今回、これまでの話をまとめて、連載「俗流フクシマ論批判」にいったん区切りをつけたいと思います。この連載を収録した書籍『はじめての福島学』(イースト・プレス刊)も2/28(土)に発売されますので、そちらもお楽しみに。

「科学的な答えに終始」もコミュニケーションの失敗の一つ

 私たちは、アップデートされたデータ・知識を取り入れながら、いかに「適切な反応」をしていけばよいのでしょうか。
 もちろん、これまでも「適切な反応」を促そうと、様々なコミュニケーションが試みられてきました。ただ、その多くが失敗してきたと言わざるを得ないでしょう。

 ダメな答えの典型的なのは、十分な説明や根拠がないままに「とりあえず、普通にしていれば大丈夫です。安全です」と言い切るパターン。

 最初の1年は結構多かった。わかりやすい根拠もなく、行政が安全宣言したり、食べて応援キャンペーンしたりした結果、逆に不信感を増大させてしまった。
 その増大した不信感が、今にも響いていることは間違いないでしょう。立場を問わず、一部の人の「行政、専門家が言っていることは信じられない!」という思いは根強い。

 もちろん、「役所が大丈夫だって言ってんだから大丈夫だっぺ」という(厳格派でも穏健派でもない)受容派の人も、サイレントマジョリティ的に存在します。それは以前に数字で見たとおりです。
 ただ、厳格派はじめ、表で色々発言したい人ほど「私はもうだまされない!」という思いが強い傾向もあるでしょう。

 科学技術社会論・科学コミュニケーションと呼ばれる学問分野がありますが、そこでは「知識の欠如を埋めれば、人々は抵抗感を示していた科学技術を受け入れる」という科学者がやりがちなパターンを「欠如モデル」と言います。

「知識」未満のフワッとした話をしながら、「とにかく大丈夫」と言い続ければ理解を得られるだろうという態度があったのは、「欠如モデル」のものすごくダメなパターンだったと言えます。
 当然「適切な反応」などにはつながらない、逆効果でした。

 もう一つは、ダメな答えではないんですが、「科学的な説明に終始してしまうパターン」にも、「適切な反応」を導くという意味では限界があった。

 例えば、ここまでの話、自分で説明しておいてですが、「科学的には」甘すぎます。
 甘すぎるというのは、嘘をついているとか、データが間違っているとかではなくて、学術論文として成立するような説明をするためには、もっと細かいことを学問の作法に従って書き連ねたり、難しい抽象的な概念を使って高度な議論をしなければなりません。
 本当は、ここまで出してきたデータの10倍ぐらい、手元にはネタ(データとか理論)があるんですが、それを全部封印しています。

 ただ、それは、科学者たちの間や、データの扱いに慣れたメディア関係の人とかの間では、必要な話なのかもしれませんが、そうじゃない「普通の人」にとっては、現時点でも「かなりお腹いっぱい、もう食べられないよ」感があるぐらいのテーマとデータの数だったのではないかと思います。 
 科学者にとっては情報過少でも、普通の人には情報過多なわけです。

 本連載は後者に向けて書いていますが、これまでは、この両者のギャップに向き合ってくることが足りなかったのではないか。
「放射線の問題」を理解してもらう努力を地道に続けてきた科学者も、「科学的な説明に終始してしまう」パターンに陥ってきたのではないかと考えています。

 もちろん、私が指摘するまでもなく、情報の発信の仕方を工夫する動きは少しずつ出てきています。文章をわかりやすくしたり、絵にしたり、あまり知識がない人と一緒に話すのをみせる形式にしたり。
 これからは、「伝える方法」を工夫すべき時期です。「伝える内容」は、ここまで示してきたとおり、様々に蓄積されてきましたから。

 ある問いに対して膨大なデータを示しながら「科学的な説明」をする。これは、文系・理系問わず、データと論理を駆使して物事を理解するトレーニングを積んでいる科学者や、そういう思考に慣れている報道関係者とか編集者とかにとっては、日常業務の範囲でしょう。
 ただ、そうじゃない人にとっては、わけがわからない、呪文を読まされるようなものです。

 その結果、例えば、放射線に不安があるお母さんたちの中には、「結局、難しいこと言って煙に巻こうとしている」というメタメッセージしか受け取らない人も出てくる。そういう方にとっては、以前に例に出した、「辞書とタウンページを全部読め」みたいな苦行でしかない。
 なので、そういう意識がなくても陥ってしまいがちな「科学的な説明に終始してしまうパターン」も、改善されていくべきポイントです。

もはや「両論併記」型は百害あって一利なし

 最後に、「適切な反応」を促すためにしておくべき課題は、「判断は任せます」型・「両論併記」型の結論付けをどう崩していくかということです。

「福島の問題」「放射線の問題」について、よくあるのが、「それぞれの判断を尊重して判断・行動していくべきだと思います」という話法です。
 これは、知識も良識もある人がよく結論に持ってきがちです。

 一方、新聞・テレビなどでセンセーショナリズムに走った報道が、「安全だと思っている人も危険だと思っている人もいます」などと、「多様性を反映しました」というポーズをとるパターンもあります。
 もちろん、その全てを否定するつもりはありません。そういうもの言いが必要な場面もあるでしょう。ただ、その上でも、わかってきていることは明確に、毅然と言うべきです。
 後者の例で言えば、例えば、

・全量全袋検査をして、1000万袋のうちの、2012・2013・2014年の法定基準値超えが「71袋→28袋→0袋」と明らかにごくわずか&減少傾向にある
・福島県民2万4000人規模の調査で放射性セシウムによる放射線が99%検出されなかった。1%の理由もわかっている

 という中で、これまでも繰り返されてきたトピックを再生産しているだけなのに、「福島では、いまも不安に怯え続ける人がいる」とか、「また福島で高濃度汚染発見」とか、「また新事実発見!」みたいなことをやりたがる研究者・メディアはよくいます。
 地元でも、それをいちいち真に受けて不安になってしまう人もいます。

 ですが、そこで問うべきなのは、「これだけのデータが出てきているのに、不安なのはなぜでしょう?」「そもそも、こういうデータの周知が足りないのか、周知されていてもそれでも嫌だというのか?」であったり、「これだけのデータが出ているのにもかかわらず、この高濃度汚染が今さら出てきたのはなぜでしょうか?」「そういう原因があるならどんな対応が必要でしょうか?」という一歩先の話です。

 それを「ネッシー大発見!」みたいに面白おかしく拡大コピーして騒いで、「どうです、危ないでしょ~怖いでしょ~」とメタメッセージをつけているのに、表面上は「安全だと思っている人も危険だと思っている人もいます」「それぞれの判断を尊重して判断・行動していくべきだと思います」みたいな結論付けをする。

 これは、情報発信する側のテクニックとしてはありがちなパターンですが、もうそういう2011年と同じような枠組みで福島の問題を語り続けるのは、百害あって一利なしの時期になってきています。

「科学的な前提にもとづく限定的な相対主義」に移行せよ

 もちろん、そういう悪質なものではなくても、知識・良識がある人が、知識・良識があるからこそ、色々なバランスを気にしすぎて、歯切れ悪く「それぞれの判断を尊重して判断・行動していくべきだと思います」という場合もあります。
 いずれにせよ、「こういう人もいれば、逆の人もいる」「それぞれの判断を尊重して」というのは便利な言い回しです。

 これは相対主義的なもの言いだと言ってよいでしょう。「Aという考えも、Bという考えも、Cという考えも尊重されるべき」というのが相対主義です。
 逆に、絶対主義は「Aという考えのみが尊重されるべき。BやCの考えは許容されない」というものです。
 「それぞれの判断を尊重して」というのは前者です。
 そして、これからは、「科学的な前提にもとづく限定的な相対主義」に移行すべきです。

「限定的な相対主義」というのは、絶対主義のようにほかの可能性をはじめから排除するようなことはしないが、明確にわかってきていることは前提におきながら議論の精査をすることです。
 なんの精査もせずに「Aという考えも、Bという考えも、Cという考えも尊重されるべき」と言い続ける時期ではありません。

 しかし、センセーショナリズムに陥るメディアや論者は別にして、知識も良識もある人までが、なぜ「科学的な前提にもとづく限定的な相対主義」に移行できず、「それぞれの判断を尊重して」と相対主義的なもの言いを続けるのか。

 これは、端的に言えば、少しでも「問題ない」とか「過剰に危険を煽るのは間違っている」と言うと石を投げられる状態が、3・11後、ずっと続いてきたからです。

「石を投げられる」というのをもっと具体的に言えば、主張の内容のいかんにかかわらず何十通と「人殺し」とメールが届いたり、実際にそうなのかどうかにかかわらず「御用学者」として誹謗中傷・罵詈雑言をネット上に書き連ねられたり、身の危険を感じるような脅迫状や不幸の手紙が職場に届いたり、仕事先に「あいつ使うな・関わるな」としつこくクレーム電話をいれられたり、といったことをされます。
 これ、全部具体的にどの方がどんなふうにされたのか、私も直接見聞きしております。

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俗流フクシマ論批判

開沼博

311福島第一原発事故から3年以上経ちますが、今フクシマはどうなっているのでしょうか? いまだ具体的な数字や実態に基づかない情緒的な議論が溢れる中、この連載の目的は、フクシマの問題について「論理とデータを通した議論のベースの再設定」す...もっと読む

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コメント

Singulith >「なんの精査もせずに「Aという考えも、Bという考えも、Cという考えも尊重されるべき」と言い続ける時期ではありません」  https://t.co/mMgqY2d6xG 約3年前 replyretweetfavorite

NonbeeKumasan @ikutayoshikatsu 豊洲移転問題で反対派が行っているのはアウフヘーベンではなく福島でも繰り返されてきた「悪しき両論併記」。 明確な論拠を示せなくなった不利な側が迷信と科学を対等にして碁盤をひっくり返そうとする詭弁です。 https://t.co/HvAKQMfeKF 約3年前 replyretweetfavorite

kokikokiya これ、全部具体的にどの方がどんなふうにされたのか、私も直接見聞きしております https://t.co/eSOxPUKtHA 主張の内容のいかんにかかわらず何十通と「人殺し」とメールが届いたり、実際にそうなのかどうかにかかわらず「御用学者」として誹謗中傷・罵詈雑言をネット上に書き 4年以上前 replyretweetfavorite

kokikokiya 「科学的な前提にもとづく限定的な相対主義」に移行せよ https://t.co/eSOxPUKtHA なぜ「科学的な前提にもとづく限定的な相対主義」に移行できず、「それぞれの判断を尊重して」と相対主義的なもの言いを続けるのか 5年弱前 replyretweetfavorite