家族の決定が本人の希望を奪うことも
大きく分けると、終末期のご家族のパターンは3パターンあります。
①できるかぎり、ご本人の希望どおりにしようとするご家族
②できないことはできないと言いつつ、ある程度はご本人の希望を叶えようとするご家族
③基本的にはご本人には告知も相談もせず、家族の意思だけで物事を進めるご家族
統計を取ったわけではありませんが、多い順にいうと、がんの場合は、②→③→①となります。認知症の場合は、ご本人の意思表示が難しくなるために③が増えるようです。
重い病気になって、自分で物事を判断することさえも消耗するようになると、ご家族の意見が通りやすくなります。それとご本人の希望が一致している時は良いのですが、そうではない場合だと厳しい立場に置かれることも少なくありません。
病名の告知を例に挙げましょう。しばしば、夫あるいは妻、父あるいは母は心配性だから「告知してほしくない」というご家族がいらっしゃいます。けれども、何も言わないでみんなで隠すのは、いばらの道です。
患者さんによっては、次第に疑心暗鬼になり、精神的に著しく不安定となります。さらに、命の期限を隠すことによって、その方が最後にしたいことをする機会を奪ってしまうことにもなります。結果的に、ご家族も患者さんが亡くなったあとに「あれで良かったのか」と悩まれることも少なくないのです。
大切なのは、伝え方です。私は、このような仕事をしていますから、患者さんにとって酷である「病状」や「余命」の話を、何度も何度も伝えてまいりました。そのときに気を付けているのは、その方の希望を奪わず、しかし残り時間にやりたいことができるよう、心の準備もしてもらうことです。もちろん、その方が落ち込まれたときには、支えるように努めます。ひたすらに嘘を通して、どこかにほころびが出てしまうよりも、良い選択ではないかと思うのです。
家族に希望を叶えてもらった人、もらえなかった人
60代の男性の末期がん患者の清水さん(仮名)は、好きに生きてきた自由人のように見えました。その人生も残り数ヶ月と推測されていました。
「おうちに帰ってみては」
そのように伝えましたが、彼は自信がないようでした。
「先生、大丈夫かな?」
「大丈夫だと思いますよ」
「そうかあ。じゃあ帰ろうかな」
翌日も、翌々日も、同じやり取りをしました。彼には、家で過ごせるかどうか、確信が持てなかったのだと思います。しかし今にして思うと、もう1つ理由があったのかもしれません。
結局、彼はしばらく悩んだ末、ある日決心がついたのか、退院なさいました。それから1か月半くらいを過ごし、最後はぎりぎりの状態になって、また入院してきました。
「こんなになっちゃったよ」
苦笑した本人の脇に、献身的に清水さんを支えた奥さんと娘さんが同じように笑っていました。
「先生、最後は本当に大変でしたよ。この人、立てないから、皆で支えて……ははは」
最後は、立つこともままならなくなり、すべてに奥さんや娘さんの介助を要する大変な状態だったようです。それでもご本人は家での生活を選び、ご家族もぎりぎりまでそれを支えました。そしてまた、ご本人がもう無理だろうと思った時に、病院に戻るという決断も迅速でした。3日後、清水さんは穏やかに最期を迎えられました。
同じく60代の進行がんの患者さんの、谷口さん(仮名)がいらっしゃいました。谷口さんも小康状態となり、ご本人は家に帰ることを熱望しました。しかし、ご家族が苦しい胸の内を語りました。
「先生、正直、あの人にはこれまでさんざん迷惑をかけられました。お金もほとんど家に入れてもらったことがないんです。今も無一文です。だから私たちがお金を捻出しているんです。生活保護にはなりたくない、一緒に生活したい、そう言います。けれども私たちが苦しい思いで医療費を捻出しているのに、今までろくすっぽお金を入れなかったことも忘れたかのように、『早く帰りたい』『限界まで治療を受けたい』って言うんです」
さまざまな家庭があり、さまざまな事情があります。谷口さんの治療や介護に、まさしくご家族は心身も、金銭的にも限界でした。最終的に、彼は生活保護を申請することになりました。ADL(日常生活動作)の障害も強かったため、退院することはできず、遠くの病院に転院することになったのです。
清水さんも谷口さんもとても魅力的な方で、ご家族も一生懸命な方々ばかりでした。では、何が彼らを分けたのでしょうか?