電気サーカス 第9回

まだ皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。“テキストサイト”をはじめた“僕”は、高校時代の友人、逆野やサイトで知り合った人々と、常時接続と家庭内LANが構築されたマンションで共同生活を送っていた。

 僕は紅茶が飲みたかったのだが、ティーバッグをどこに仕舞ったのか思い出せない。そもそも僕が仕舞ったとも限らない。
 キッチンの棚をあちこち開けていると、ドアが開いて同居人が出て来た。
「タミさん」
 僕は畳沢君をそう呼んでいる。
「何してるの?」
 くしゃくしゃとした金髪の癖っ毛を掻きながら、とろんとした眠そうな目で彼は訊ねる。
「ティーバッグ探してるんだけど」
「ごめん、さっきおれが最後の一つ飲んじゃった」
「ああそっか。じゃあいいや。それよか、なんだかタミさん楽しそうだね。今何か薬飲んでる?」
「ああ、うん、レキを飲んでるよ。ミズヤグチさんも、飲む?」
 うんと頷くと、彼は部屋に戻って、錠剤のシートを取って来た。このピンク色の可愛い錠剤はタミさんが一番気に入っている向精神薬で、シートには商品名がレキソタンと印刷されている。
 彼は二週間に一度のペースで心療内科に通い、眠れないだの気分が重いだの、適当な症状を訴えて各種の向精神薬を仕入れているそうだ。そうして手に入れた錠剤と音楽が、アルコールが一滴も飲めない彼のリラクゼーションらしい。向精神薬と言えば、ネット上に多数生息する少女達が自慢げに自分の処方を晒し出すものとしてしか認知していなかったので、実際目の当たりにすると少し驚いたが、飲んでみれば思ったほど大げさな薬でもなく、僕もすぐに慣れた。
 そうやって、段々と深入りして、この後僕はこの手のケミカルな世界とより親密に、そして抜き差しならなくなってゆくのだけれども、同時にもっと切実で目まぐるしい要素が次々と立ち現れたせいで、結局それを重要で深刻な問題として感じたことは今日に至るまで一度もなかったし、今となってもさほど悪い印象はなく、むしろ戦友のように思っている。酒もそうだけれど、薬が悪いのではなく、度を超した付き合い方をするのが良くないのだろうね。彼らは基本的には優しくていいやつらなのだ。
 もちろん、この時点ではそんな付き合いになるとはつゆ知らない。僕は気軽に彼の手から一錠つまみ上げると、口に含み、水道水で飲み下した。
 既に昼でも肌寒さを覚える季節になっている。ダイニングの端っこの方にあった石油ファンヒーターの電源を入れて、その前で紅茶のかわりのインスタントコーヒーをすすっていると、タミさんが今度は嬉しそうにエレキギターを持って来た。
「これ昨日もらって来たんだ。いま弦を張り直してたんだけれど、まだ全然使えるみたい。ギターは本職じゃないし、おれにはこれで十分だね」

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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