電気サーカス 第6回

まだ高速デジタル回線も常時接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。“テキストサイト”をはじめた“僕”は、周囲の出来事を面白おかしく日記にまとめて公開することに夢中になっていた。

 窓辺には僕が中学生の頃に買ったサボテンがそのままになっている。テレビの脇の小物入れには、死んだ犬の首輪が入っている。この犬は、三歳の僕が拾ったということになっていたけれど、本当は父が拾って来たんだ。父は母を説得するために、僕がどうしても欲しがってきかないからと嘘の理由を作って説得した。結局その嘘は今日になっても僕と父の間の秘密のままで、僕が犬を拾ったのだとみな信じている。
 首輪を手にとって嗅ぐと、しみついた獣のにおいがした。そして掴んだ指にはねっとりと脂が付着し、さらに黒い毛が絡まっている。これは犬の体毛だ。生きていた頃、首もとにそよいでいたあの体毛だ。あれは従順な犬だった。どんな時も家の者の姿を見つけると、しっぽを振って駆け寄って来る。老いて衰弱した後も、僕を見ると餌なんぞそっちのけで、右へ左へよろけ、息も絶え絶えになりながらこちらへ走って来る。そうして嬉しそうに見上げ、ハッハッと荒い息を吐いて笑うのだ。何故犬というものはあんなに従順なのか。
 この犬は父の件があって、家がざわざわとしている間にひっそりと死んでしまった。僕はその亡骸を見ていない。どこに葬られたのかも知らない。今頃はどこかの土の下で白骨になっているのだろう。その眼窩を蚯蚓が出たり入ったりしているのだろう。そして蚯蚓は、この骸骨が僕が子犬の頃から育てた犬だったことなど知らぬのだ。
 ここに置いたままでは、きっと誰かが捨ててしまう。僕はその首輪を折りたたんで、ポケットに入れた。

 年が変わるのだから、人生も変えねばならぬ。引っ越しは、年が明けてすぐに行うことに決めた。沈み行く船から、一足先の脱出を果たしたかった。

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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