電気サーカス 第5回

高速回線も常時接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってネットに接続していた時代。“テキストサイト”をはじめ、周囲の出来事を日記にして公開する毎日を送っていた“僕”は、別居中の父と一年ぶりに再会したのだが……。

 父はすっかり臆病になって、虚ろな視線を彷徨わせている。僕の目からは涙がこぼれ落ちようとしている。それを隠すか拭うかしたかったけれど、ここで一瞬でも父から顔を背けたら、全てが駄目になってしまいそうだ。僕はまっすぐに父を見つめ、涙は頬を伝い落ちてゆくのに任せた。
 人前で涙を流すなんて小学生以来かもしれない。父はそんな僕の顔を、ちらちらと盗み見るようにしながら、近くのパイプ椅子を引き寄せた。前触れもなく泣き出した僕に動揺しているのか。僕だってこんなの可笑しいと思っているんだけれども、これが現実なのだから仕方がない。いつだって僕は自分のすることなんぞ何一つ理解出来ぬ。あんただってそうだろうよ。
 彼は煙草を取り出そうとして、ライターが見つからずにまた仕舞った。
「なあ、牛丼でも一緒に食いに行くか」
 僕はうんとは言わない。かわりに、椅子に腰掛けた父を蹴飛ばした。
 すると彼はバランスを崩し、背後の電気ポットを巻き込みながらひっくりかえる。熱湯がこぼれて白い湯気が立ち上った。熱い、熱い、と父は情けない声を上げて床をのたうちまわる。
 ここまでやるつもりはなかったのだ。驚いて、思わず謝りそうになったけれど、父はその大げさな振る舞いほどの怪我はしていないようだったので、慌てて言葉を引っ込めた。
 無言で見守る僕の前で父はのろのろと起き上がる。そして恨めしそうに僕を一瞥すると、赤くなった指先をさすりつつ、そそくさとドアの方へ向かった。
「なんでそんな屑になっちゃったんだよ」
 後ろ姿に向かって精一杯浴びせると、
「おれだって、屑になりたかったわけじゃないんだ」
 父の言葉は思いの外感情的で、ほとんど泣き声になっていた。そして僕から顔を隠すようにして駆け足で部屋を飛び出してゆく。将来僕もああいう人間になるのだろう。
 しばし虚脱したのちに、財布を掴んで競馬場へ向かった。行きがけに食った立ち食い蕎麦が妙に旨かった。せっかく行ったのに、ちっとも射幸心が働かず、結局一レースだけで帰る。部屋に戻るとすぐにパソコンを立ち上げ、サイト読者からのメールに返信を書いた。そして二時間かけて自分が本当に蕎麦というものを好きで、これからも蕎麦ばかり食べて行きたいという願望を日記に書き、それが終わると眠りについた。

 大座敷の正面、巨大なカラオケ用モニターの前でマツイさんが、身をくねらせながら横浜銀蝿を歌っている。おとなしい感じの子だと思っていたのに、不良をモチーフにした歌曲がこんなに好きなのか。これで三曲続けて銀蝿を歌っており、未だマイクを離そうとする気配がない。長い髪を振り乱し、顔はアルコールで真赤に染まっている。胸と尻が張って、腰がくびれ、案外よい曲線を持っている。酔ったふりをして触ったら殴打されるだろうか。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

週刊アスキー

この連載について

初回を読む
電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード