コドク共有

バイバイしなさい [ACT1-1]

「ねぇ、自殺って遺伝するの?」アニメ会社で働く柏原義人は、父親を自殺で亡くした少年・祐介にそう聞かれ、言葉につまる。それは、義人も同じように父を自殺で亡くしていたからであった…...
誰もが持っているコドク。そのコドクはどこかで、誰かとつながっているかもしれない。
ファイナルファンタジー1~3のシナリオを手がけた寺田憲史が描く「コドク共有」の連載がスタート。

 ねぇ、自殺って遺伝するの?

 その質問に答えなくちゃならない日だった。次に会うときまで待ってくれよ。オレも、考えてくる。その子と、そう約束したのだ。

 約束の時間を、十五分ほど過ぎていた。原チャリは、いつもの公民館の手前の踏み切りで捕まった。

 時間どおり着くように、会社を出たはずだった。だが速度をあげようとしても引き返したい思いがタイヤに巻き付いて、のらりくらりとした走りになった。その子の顔が、何度も浮かんだ。透き通った瞳が、オレの前世の罪までお見通しという感じに迫ってくる。

 電車が目の前を通過し、踏み切りの音が尻切れトンボに止むと、静寂が降りた。今度はその長閑さが、やっぱり行くのやめちゃおうかと誘ってくる。慌てて原チャリを唸らせ、踏み切りを超えた。

 公民館の前では、仲間の女の子が待っていた。オレを見つけると、ほっとしたように手招きする。

「よかったよかった、来られないのかと思った。日曜だよぉ。アニメの仕事、忙しいんだねぇ」

 今日も徹夜明けだった。ここ二日、アパートには着替えしに帰っただけだった。前の仕事の時と違って、その子と会う時間を決めるのも確実なことが言えなくなっていた。

 ロビーには『太陽クラブ』の立て看があって、今日の会場案内が貼りつけられていた。矢印のほうに行こうとすると、廊下の奥に人影が見えた。上目遣いで挨拶される。小三のとき、学校にオレを迎えに来たお袋と重なった。お袋は毎日毎日同じところで待っていた。ある時オレは、わざと違う出口から帰ってしまったことがあった。でもお袋は怒らなかった。怒られなかったことも、お袋を残して帰ってきてしまったことも、ひどく悲しかった。

 オレはぺこりと頭を下げ、その子の待つ部屋に入った。

 その子は、おでんの模擬店や工作コーナーで賑わう部屋の隅っこに座っていた。3DSを握りしめ、怒ったように指を動かしている。清水祐介。ここから少し離れたところにある小学校の三年生だそうだ。ほら、ここだと、知った子がいないし。そのほうがいいかと思ってって、お母さんが。オレに祐介を引き合わせた仲間の子が、そう教えたのだ。

 オレは、長テーブルをはさんで祐介の前に腰をおろした。「よぉ。遅くなってごめん」そしてしばらく、目をあげようとしない祐介の指を眺めた。

 祐介は、もうすでにオレに意識をとられているはずだ。

 だが指を止めるきっかけがつかめないでいる。指を止めて手持無沙汰になることや、オレという自分以外の人と向き合うことも不安なのだ。小学生のオレも、そんなふうに自分だけの世界から抜け出すのに、気が遠くなるような時間がかかった。待った。すくなくとも今のオレに、この子にしてあげられることはそれぐらいしかない。

 やがて、ボタンを叩く音が止まった。だが姿勢は変わらず、怒ったように待ち受け画面を見つめている。それでもオレは、こちらを受け入れる用意ができたなと分かった。オレがそんなふうに人の心の中を覗けるのは、祐介に限ったことだ。ふだん他の人相手だったら、沈黙の時間が耐えきれず、とっくに逃げ出しているに決まってる。

 ショルダーバッグから大きな箱を取り出し、すこし自慢するようにテーブルに置いた。「ほら、持ってきたぞ」

 それは、お袋から先日送ってもらったものだった。オレが祐介と同じ年ぐらいのときに流行っていたアニメの、超合金の玩具が入っていた箱だ。表面に描かれたキャラは色褪せ、擦り切れた角に貼られたセロハンテープはぽろぽろと剥がれた。

 祐介は「古ぅ」と呟き、いったい何を持ってきたのかと顔をあげた。昔の玩具を持ってきてなどと頼んではいない。

「この中に、アレがごっそり入ってるんだ」

 オレはさらに勿体つけてふたつの小さな瞳を覗きこんだ。祐介は反射的に目を逸らそうとしたが、無防備に餌に釣られた小魚のように、すぐにオレに目を戻した。開けてもいい? 前回、別れ際に見た瞳に戻っていた。氷で固まった湖底で、微小の発光体がかすかに輝いている。

 蓋を開けると、いくつものジッパー付のビニール袋が収まっている。その袋のひとつひとつにバラバラになったジグソーパズルのピースが詰まっていた。

「すげぇ」

「すげーだろう」

 オレは祐介の言葉をくり返すようにしていた。この子の言葉は人が自分に対して投げかけられたと自覚できるほど、波動が強くない。それは祐介が相手にきちんと伝えようとする意識が希薄だからで、希薄なのは他人の領域に踏み込むのが怖いからだ。祐介と同じ年ごろだったオレが、やはりそうであったように。オレがこの子の言葉をくり返すことで、この子の声に周囲の人がすこしでも気づく力が加わるかも知れない。

 透明の袋には、それぞれの完成図が入れてあった。

 ジグソーパズルは、いくつも買い込むと箱がかさばる。それでお袋が箱を処分しようとして、オレは泣いて抵抗した。すると親父が、ほらこうすれば大丈夫だと取り持ったのだ。家でも外でもまとめ役ねとお袋が笑ったが、その時のオレにはその意味が分からなかった。

 完成図は、祐介の知らない漫画やアニメのキャラだった。ひとつひとつを見比べて、どれにしようか思案している。

 この子の担当を任されるようになって、しばらくは何を話したらいいか途方に暮れた。

 趣味や趣向も想像つかない。休み時間、何してるんだい? 友だちとはどんな話をするの? 漫画は何が好き? なんとか会話の糸口を探ろうと次々に質問してみたが、それは当然のことながら祐介を巻貝の底に引っ込ませるだけのことだった。この子は質問されるのに、うんざりしているのだ。放っておいて欲しいのに、それでも母親に手を引かれてここまで出て来たのだ、もうそれで十分のはずだった。オレはしばらくしてそのことに気づき、今度は自分が祐介と同じ年ごろにしていたことをダラダラと話すことにした。そして一時期ジグソーパズルにハマっていたことを話すと、明らかに興味を見せたのだ。

 ぼくも、持ってる。いっぱい。

 それは消え入るような声だった。だがオレには、闇に閉ざされた波間でふいに誰かの声で引き上げられたような気分だった。よしオレと一緒にやろうぜというと、その何回か後にようやくピースの詰まったいくつかの箱を抱えてくるようになった。毎回違うパズルを持ってきたが、ひとつだけいつも持って来るものがあった。スヌーピーとチャーリー・ブラウンのパズルだった。そのひとつひとつのピースは、ほかのと違って手垢で汚れていた。

 祐介は、きまってそのパズルを最後にやりたがった。日によっては、最初にそのパズルをやって、ほかのパズルをやっていたらもう帰らなくちゃならない時間になったと告げると、じゃぁ最後にこれと言って、また同じパズルをやりだしたこともあった。

 オレにもそれと似たおかしな拘(こだわ)りがあって、相手をしてくれた親父にいつも同じジグソーパズルを差し出した。お前、こればっかだな。ほかにもあるだろうが。もう何度もやっているから、完成は早かった。だが最後に残ったピースをはめ込むと、すき間風をしっかりと目張りしたときのように安心したのだ。今でもなぜあの時のオレがそんなに安心したかったのか、わからないでいる。

 祐介はひとつの袋を手に取り、ジッパーを開くとテーブルの上に慎重にピースをこぼした。長テーブルから落ちそうになったピースは空いてる掌で抑えた。こんなふうに生真面目なオレは、周囲からよくからかわれた。

 オレはわざと乱暴に祐介の袋を持つ手をつかみ、

「落ちたって構うもんかぁ」

 おどけてピースをテーブルにぶちまけた。いくつものピースが床に散らばった。祐介が目を丸めて、オレを見た。すこし愉快だが、大いに戸惑っている。その瞳にどういう反応をしたらいいか分からず、オレは見つめたまま息をのんだ。

 あの時の、オレと親父もそうだった。

 小二の冬、オレが風呂にいると突然親父が入ってきた。

 市会議員の親父が、オレが風呂に入るように言われる時間に家にいることはない。親父は、おお寒いなぁといきなり湯船に飛び込んだ。オレは髪を洗っていて目を開けられないでいた。湯船からあふれ出した湯がくるぶしに触れた。

「お湯がもったいないよ」

「ケチケチするな、じゃんじゃん使え」

 今考えれば親父らしくないセリフだった。水道の水は流しっぱなし電気はつけっぱなしで平気なお袋に、親父は困ったやつだなぁと後ろについて蛇口を閉め、不要な電気を消して歩いた。

「ケチケチしても、無くなるものはなくなる。ケチケチしなくても、たまるときはたまる」

 そう言って、シャンプーまみれのオレの髪に勢いよく湯をかけた。

 やめてよぉ、オレは手で目をぬぐい湯船につかる親父を見た。変なふうに目が合った。お互いがまさか目を合わすとは思っていなかったのに合ってしまった、そんな感じに気まずく視線が重なった。それはたぶん、親父は必要以上に感情をこめてオレを見つめていたからで、いっぽうオレは、今まさにオレに魔法をかけようとしていた相手と偶然目を合わせてしまったように、その視線に慌てたのだ。

「どれ、シャンプー落ちたのか?」

 それから親父はたて続けに湯をかけ、ごしごしとオレの頭をかいた。でもオレは、ほんの少し前に見た親父の目が頭から離れなかった。親父は、オレを見つめていた。その目は、何かを言おうとしていた。オレはその目に、何かを答えなくちゃならなかったのだ。

 風呂からあがると、親父は着替えなおして、また冬の夜空の下に出て行った。まだ会合があるんだ。行ってくるよ。何でもよかったのだ。なんでもいいから、親父に今夜はもう出かけないでって言っていれば、オレは親父を救うことができた。

 翌朝、親父は自殺した。


 告別式で葬儀屋が親父の収まった棺に手際よく蓋をしようとした時、オレは怒ったような表情のまま親父の顔を睨んでいた。傍らでお袋が何度も言った。

 さぁ、お父さんにバイバイしなさい。義人。お別れだよ。バイバイしなさい。

 オレは、その言葉を遠くのほうで聴いていた。だから現実の音だとは感じられないでいた。バイバイしなさい。さぁ、バイバイするのよ。親父の寝顔は白い布の貼られた重たい蓋で覆われたが、それでもオレには親父の寝顔をがはっきりと見えていた。親父は夜中に出かけて行くとき、行ってくるよって言った。だからあの時、オレはとりあえずバイバイを心の中で呟いたのだ。こうして静かに眠ってる親父に、バイバイしなくちゃならない理由はどこにもなかった。お父さん、行っちゃうんだよ。バイバイしなさい。

「ACT1-2 自殺って遺伝するらしいよ」はこちらから。


この連載について

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寺田憲史

「ねぇ、自殺って遺伝するの?」アニメ会社で働く柏原義人は、父親を自殺で亡くした少年・祐介にそう聞かれ、言葉につまる。それは、義人も同じように父を自殺で亡くしていたからであった… 誰もが持っているコドク。そのコドクはどこかで、誰かとつ...もっと読む

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f_anzai ファイナルファンタジーとかの寺田さんの文芸作が完結しました。孤独、自殺遺児、共有といった題材をアニメ制作現場や声優さんとの関わり合いの中で主人公が悩み考えて行きます。 https://t.co/j30B1eThdN 4年弱前 replyretweetfavorite

corkagency ファイナルファンタジー1~3のシナリオを手がけた寺田憲史がcakesにて連載中の初の文芸作品『コドク共有』を”本日20時まで限定で”無料公開いたします![ACT1-1 約4年前 replyretweetfavorite

BurmSeon 有名な脚本家であり、お世話になっている寺田先生の連載小説。ご興味ある方は堪能してください! http://t.co/lfGcGflf2g 4年以上前 replyretweetfavorite

Yuhiiiidayo 「自殺って遺伝するの?」って、空白を満たしなさいでも似たテーマがあったなと。男性にとって父親の死の捉え方って、独特だなーって感じる。 ACT1-1 4年以上前 replyretweetfavorite