ヨーロッパでショックを受けた夏目漱石と森鴎外
—— 読者が競い合って雑誌に投稿していた話って、20年ぐらい前のラジオのハガキ職人を思い出しますね。面白いネタをラジオに投稿していた若者が、プロデューサーに引っ張られて、テレビの放送作家になっていったのと似ています。今でもインターネットの面白投稿に似た雰囲気が残っていますよね。
それで、この本を読みながら、とても印象に残ったのが、明治から昭和初期にかけての多くの若者が、非常に強く「作家になりたい」と考えていたことです。いったい彼らは、なぜそれほどまでに作家という存在に憧れたんでしょうか。
猪瀬直樹(以下、猪瀬) 「作家になりたい」という若者が出てきた背景には、その頃に初めて「出版の市場」が生まれた、ということがあります。市場がなければ、作家という仕事は成立しませんからね。日本の学者による文学研究のほとんどは、作品を中心にしているんだけれど、作家も人間ですから、食べていかなければならない。小説がどのように流通して、出版というビジネスが成立していったのか、当時の「市場」を通じて描こうと考えたのが、僕の一連の作家をテーマにした作品になります。今回cakesに掲載する『作家の誕生』もそのうちの一冊ですね。
まず、日本の出版の黎明期に活躍した作家といえば、夏目漱石と森鴎外の二人です。この二人は、どちらも超エリートなんですね。夏目漱石はイギリスに留学したあと一高(いまの東京大学)で教えていた先生だし、森鴎外はドイツへ官費で渡った医師。国の金を使って何十日もかけてヨーロッパに船旅で行き、向こうで何年も暮らすんだから、スーパーエリートですよ。
—— かなりすごいことですよね。今だったら、NASAの宇宙ステーションにいる宇宙飛行士くらいの感じですね。
猪瀬 うん、それか戦後すぐの時期に、フルブライト奨学金を得てアメリカに留学した知識人みたいな感じでしょうね。とにかく明治期に官費で留学するなんてことは、日本のトップ中のトップの超エリートだけに認められることで、例外的な存在だった。その夏目漱石と森鴎外がヨーロッパに行き、勉強するなかで、向こうの文学に初めて触れる。すると明らかにそれは日本の過去の「物語」とは違うことがわかる。日本にも古くは源氏物語にはじまり、江戸時代の井原西鶴や近松門左衛門などいろんな物語があった。しかしヨーロッパの近代文学というのは、どうやら自分たちが知る「物語」とはまったく違うものらしい、ということに漱石や鴎外は日本人の中で最初に気づくんです。
—— それまでの日本にはなかったタイプの、いわゆる近代的な形の小説が欧米にはあったと。
猪瀬 そう、彼らが留学していたときにヨーロッパでは、モーパッサンとかゾラとか、自然主義のいろんな作家が活躍していたから、漱石も鴎外もそれらを読みふけったに違いない。そうして彼らはヨーロッパ文学に多大な影響を受けて、日本に帰ってくるんです。帰国後、夏目漱石は東京帝国大学の英語講師となり、森鴎外は陸軍の軍医になります。ここで大事なのは、二人とも給料をもらう、いわゆる「サラリーマン」だったということです。
—— なるほど、文学に関心があっても、作家として食べていくという道が、当時はなかったんですね。
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