第1章 投稿という新しいネットワーク 1
二十一世紀は情報通信革命の時代と言われる。
だがインターネットに代表される新しいネットワークの原型は、
二十世紀初頭に形成されていたのである。
情報発信の意欲は、百年前もいまも変わらないのだ。
あの時代の青年たちは、自分の心、内面を、
どのようにして他者に伝えようとしたか。
新時代のネットワークを、どうつくろうとしたか。
産声をあげた雑誌を舞台に繰り広げられる作家たちの青春群像。
そこに〈未来〉を感じとることができないか。
物語は一九〇一年からはじまる……。
女学生の登場
新橋ステーションに汽車が到着すると、烏の群れのようにかたまっていた黒い集団がいっせいにはじける。
褌に黒い腹掛けの屈強な男たちが引く人力車が停車場の出口に殺到して客を奪い合い、石畳にがらがらと軋んだ音をたてながら四方へと散り、やがて再び黒い群れに戻るのである。
この日、車夫らの間で、女学生の客が多いことが話題になった。
朝から雨がそぼ降っていた。降っては止み、止んでは降った。神田明神の鳥居は濡れて光っていたが、境内の地面は薄く湿った程度である。
神田明神境内の東南側、見晴らしのよい崖のきわに開花楼という三階建ての洋館があり、和装袴姿の女学生たちが三々五々、集まりはじめたのは昼刻をまわったころで、女学生たちは、たいがいは長い髪を後頭部で二つの輪にまとめた桃割れ髷、なかにはポニーテイルで華美なリボンをつけたりする者もいる。海老茶の袴姿で、メリンス友禅の風呂敷包みを抱えている女学生、人力車で一気に急坂を乗りつける洋装の良家の子女……。
神田明神の氏子たち、境内を掃き清めていた土地の年配者たちは、何の催しか、と首を傾げ訝ったが彼女たちにはそんな無遠慮な視線を押し返す颯爽としたいきおいが感じられた。
この日、明治三十四年十月六日、開花楼で「誌友懇話会」という名のイヴェントが開かれた。主催者は隔週発行の『女子之友』の版元、東洋社であった。『女子之友』百号を記念して初めて読者参加の催しを誌上に広告したところ応募者が全国から殺到した。
『女子之友』の読者は単なる購読者ではない。この時代の雑誌経営の例にもれず投稿を主体に成り立っていた。したがって東京の良家の子女たち、地方名望家の子女たちが、和歌や随筆、あるいは樋口一葉をまねた擬古文の小説などを投稿する。投稿には特等や入選、佳作などのランキングが付された。佳作であろうと、自分が投稿した小品が掲載されているかどうか、雑誌が送られてくるやいなや胸をときめかせてページを開くのである。