電気サーカス 第2回

高速デジタル回線も常時接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってネットに接続していた時代。“テキストサイト”をはじめた“僕”は、自分の周囲に起きた出来事を日記にして公開することに思いの外夢中になっていった。

 がっくりうなだれる弟。テレビ画面には勝利した馬の騎手が満面の笑みで「笑いが止まりません」と語っている。僕はこのこともおもしろおかしく日記に書いた。
 大学をやめ、アパートを引き払って実家に帰って来ると、僕が思春期を過ごしていた部屋は弟のものになっていた。だから僕は、廃業によって空き部屋となった父の不動産事務所で暮らしているのだけれど、そこにはベッドも布団もない。仕方なくコンクリートにシート一枚張っただけの硬く冷たい床にスポンジマットを敷き、寝袋で眠っている。半年以上そうやって暮らしていればいい加減慣れるし、慣れてしまえばそれなりに快適でもある。ただ、外から帰って来て、ふと床の上に散らばった寝袋とマットを見てしまった瞬間にはまるで路上生活者の生活現場を見下ろしているような気分になったりもする。なんともやりきれない。でもこれこそ、僕にぴったりじゃあないのかね? 将来の予行練習にもなるし。お先真っ暗だし。あははは、とにかく笑っておこうか。といったようなことも僕は日記に書いた。
 まったくもって僕の人生は茶番だ! 重苦しいものも、暗く陰鬱なものも何一つない。ただ滑稽な三文コメディが延々と続いている。そこには日記のネタに出来ないような秘密や重要なことがらなんぞ、まるっきり存在しないのだ。日常の何もかもを余さずへんてこな文章にして、悦に浸っているのが僕なのだ。
 今日も二時間かけてサイトを更新すると、寝袋に潜り込んだ。しかし、目をつむって寝ようとしても、すぐに先刻仕上げたばかりの文章を直したくなる。起き上がってもう一度推敲をし、アップロードしたばかりのファイルに上書きした。
 そうして寝て起きて、不毛な改稿を繰り返しているうちに、窓の外が明るくなって来る。嗚呼、もう通信無料のテレホーダイが終わってしまう。僕の時間が終わってしまう。まだ心残りはあるけれど、もう新しい一日に備えなくてはいけない。
 じっと目をつむり、やっととろとろして来た頭の上で鳥がチュンチュンと朝のさえずりをはじめる。今日も夕方からいつもの仕事が待っている。

 いつだったか、とあるサイト管理者が、自分の文章を「これは僕の壮大な自己紹介である」と表現していた。この小説も、きっとそのようになるのだろう。

   一 大脱出

 店内は酒に酔った男女が笑い合う声が混じり合って潮鳴りのように騒然としている。まだ宵の口だが店はもう満席だった。ホールの女の子たちにはさっき大入り袋が振る舞われていたっけ。僕ら厨房のスタッフにはそういったシステムがないが、これはどういった差別なのだろうね。今度オーナーである母に問い糾さなくてはならぬ。
 客が若者ばかりなら、店員も若者ばかりだった。ホールスタッフは母の他はみな学生のアルバイトである。厨房では、なんと僕が最年長で、その下がうちの三男、さらにその下に高校生のアルバイトが二人いる。母が平均年齢をつり上げているけれど、それがなければ店の平均年齢は十代だ。これでは文化祭の模擬店とかわりない。
 ずっとこの状態であったわけではなく、僕が入って来た当初は三十過ぎの年長の調理師がいたのだが、彼はもう辞めている。何故辞めたかというと、言いにくい話になってしまうが、僕が原因なのであった。
 彼はふとっちょで色の白い男で、やたらと早口だった。彼はアルバイトの女の子が近づいて来ると、どんなに忙しく注文が入っている時でも手を止めて雑談に興じてしまい、そこが僕は気になって仕方がない。

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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