終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)
60歳の地図——タモリは散歩とトリビアがすき 1
おじいちゃん・おばあちゃんの戦後史
日本で65歳以上の人口が統計史上初めて7%を超え、国連の定義する高齢化社会が始まったのは1970年前後だとされる。ちょうどこの年、俳優の左卜全が子役のコーラスグループ・ひまわりキティーズとともに「老人と子供のポルカ」を歌い、ヒットとなった。左はとぼけた味わいの演技で知られた老け役専門の俳優だ。思えば、メディアで老人が単なる敬老の対象ではなく、どこか面白いとか変だとか、あるいはかわいいものとしてとりあげられ、人々に消費されるようになったのは、この歌がヒットしたあたりからではないだろうか。このレコードでの左の素っ頓狂な歌いっぷりはいま聴いても強烈な印象を受ける。
同時期には、長生きしたおかげであらためてその存在がクローズアップされた老人も現れた。詩人の金子光晴はその代表格で、「エロじじい」を自称したその自由な性愛・女性遍歴、また親の遺産を使い果たしたのち海外を放浪し戦時中には反戦詩を書き続けたという反骨と奔放な生き方は、ヒッピームーブメントやベトナム反戦運動の隆盛もあいまって当時の若者たちから熱狂的に支持された。
1980年代以降のテレビのバラエティ番組では、ぎこちない言動で、ときには予想外のことを起こす老人たちが笑いの対象となる。たとえば女優の浦辺粂子、画家の岡本太郎、歌手の淡谷のり子などはタモリを含めタレントからよくモノマネもされた。なかには杉兵助のように戦前よりコメディアンとして活動しながら、年をとってから弟子のコント赤信号のブレイクもありようやくテレビで人気者となった人物もいる。
ここまであげたのは老齢期までにすでにそれぞれの分野で業績を残していた人たちだが、1990年代には、きんさん・ぎんさんのようにそれまで一介の市井の人にすぎなかったのが、「100歳の双子」というニュースバリューがついたとたん一躍国民的アイドルとなるというケースも現れた。「長生きも芸のうち」とはよく言ったものである。
「おじいちゃん」願望をアピールし始めたタモリ
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