日本中のすべての地図の元データとなる基盤地図を作り、それを国民に提供するのが、国土地理院だ。ゼンリンなどすべての地図調整会社の地理情報の“根本”を握る。そこには、地図測量の長い歴史の中で蓄積されてきた、さまざまな情報が静かに眠っている。
江戸時代の古くから、国土を測量し地図を作製するのは国防上の重要政策だった。
明治維新後に内務省が全国の測量事業を始めたのは1875年だが、その後測量事業が陸軍参謀の陸地測量部の管轄となったのも、多分に国防上の理由が大きかった。
その後約30年をかけて、山岳地を含む全国で、徒歩による実測で測量が行われた。日本で最後の測量空白地帯だった、標高約3000メートルの富山県剱岳の測量は特に熾烈を極めた。その模様は新田次郎の小説『劒岳 点の記』に書かれ、2009年には映画化もされたが、測量で登頂した陸地測量部の柴崎芳太郎測量官が剱岳の正式な初登頂記録保持者となった。
こうして行われた測量の成果である5万分の1の地図が完成したのは、1924年。現在も全国で25キロメートルごとに976点、水平位置の測量基準となる1等三角点が残っているが、そのほとんどはこの明治の測量時に置かれたものだ。こうした先人の血の滲む努力の上に、現在の地図の基礎が作られた。
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