終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)
50歳の地図——タモリ・リスペクト・ブームへ 3
テレビの自分こそ「本当の自分」と自認するようになったタモリ
1998年の雑誌のインタビューでタモリは、テレビに出ている自分こそむしろ本当の自分で、普段の生活でのほうが演技をしているかもしれないと語っている。タモリに言わせれば、日常生活では人に挨拶したり義理を果たさなくてはいけなかったり、あるいはこの人の顔を潰しちゃいけないとか、こんなことは言ってはいけないというのがあったりと、とかく不自由だ。それとくらべたらテレビのほうが自由だというのである。
テレビなんていうものは、言っちゃいけないのは放送禁止用語くらいのもので。それさえ守っていりゃあ、何でも言えるわけですよ。むかついたら、“お前、むかつくな”って言っても、それは笑いになるわけだしね。まあ許される役割でもあるから。だから本番中に平気で注意するんですよ。“お前駄目だ、今の。なんだそれは”って。そんなことは普通は誰もやらない。終わってから楽屋で注意するものなんだけど。
(『ターザン』1998年10月28日号)
言いたいことはテレビで全部言い、ダメ出しすら番組のなかで済ませてしまう。それまでの芸人たちのように師弟関係を持たず、いきなりテレビに出演して芸能界デビューを果たしたタモリならではのスタイルともいえる。
2003年に現代アートのコンペ「キリンアートアワード2003」で審査員特別優秀賞を受賞したK.K.というアーティストによる映像作品『ワラッテイイトモ、』は、そんな「テレビのなかの人」としてのタモリの奇妙さ、不気味さを題材にした異色作だった。これは『笑っていいとも!』を中心に既成の映像を大量に引用していたがために、いったんは最優秀賞に決まりかけたものの、コンペを主催するキリンビールの意向もあってべつの賞扱いとなったといういわくつきの作品である。受賞作品展でも大幅な修正を加えて展示されたが、その後、ひそかに上映会が開かれたりダビングされたビデオが流通したりという形で人々の目に触れることになった。現在ではYouTubeでも視聴可能だ。
『ワラッテイイトモ、』は、テレビだけが自分と現実とをつなぐ唯一の媒介物だった青年(作者と思われる)が、そんな状況から脱出するさまを記録したドキュメンタリーという一面を持つ。そこでは青年がテレビのなかのタモリと会話するといった場面もある。これは『いいとも!』の映像と音声をつなぎあわせて編集したものだ。終盤、青年は引きこもっていた部屋からようやく外に出て、電車で新宿のスタジオアルタへと向かう。その途中、車窓の風景に『いいとも!』が始まるまでのテレビの音声が重ね合わされ、現実とテレビの世界が交錯する。そしてついにアルタ前にたどり着いた青年は、屋外カメラを通して『いいとも!』のオープニング画面に映りこむことに成功。彼がタモリと同じ「テレビのなかの人」となった瞬間だった。
この作品ではまた、タモリの生い立ちなどそのパーソナリティにもスポットが当てられていた。じつは私がタモリという人物にあらためて興味を抱いたのは、本作のこのくだりを見たことも大きい。思えば、デビュー当時のタモリを知らない、『いいとも!』を見て育ったような世代のあいだでタモリがブームになり始めたのはこのころだった。コラムニストのナンシー関は、このブームを“「リスペクト フォー タモリ」ブーム”と呼んだ。
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