若き日の千秋雅之はなにを演奏したのか
前回まで、主人公千秋真一の父・雅之の演奏のうち、バッハ、ブラームスの意味合いを紐解いてきた。しかしこの作品の最大のエニグマに関わるのがベートーヴェンの「ピアノソナタ第32番 ハ短調」である。改めて言うまでもないが、ベートーヴェンの生涯で最後のピアノソナタであり、後期三大ソナタの最後である。その第2楽章の、12/32拍子にシンコペーションを合わせ1/64の精密さから生み出されたリズムとメロディは、人間存在を突き抜けていくかのようにさえ思える。難曲であり、演奏者によって同じ曲とは思えないほどの解釈の差も生み出す。日本人ピアニストでこの時期話題の演奏で言うなら、内田光子と仲道郁代の演奏を聞き比べてみても面白い。
それを一人の完成されたピアニストとして雅之がどのように弾いただろうか。しかも、雅之のこの「ピアノソナタ第32番」の演奏はまた、「嘆きの歌」ともいわれるその前作「ピアノソナタ第31番 op.110」3楽章冒頭による別れからの帰還も意味している。若き日の懊悩するピニスト雅之は、ベートーヴェンの後期三大ソナタを弾いてから去って行った。雅之の若い日からの友人でもあり、のだめたち音楽家のたまごと一緒に同じアパルトマンで暮らす売れない画家・長田克弘はそう呟く。
原作では「ベートーヴェンの後期三大ソナタ」と記されているので、若い日の雅之が「ピアノソナタ第32番」まで弾き終えたかのようにも受け取れるが、のだめが「ピアノソナタ第31番」を弾く状況での長田の述懐からは、若い日の雅之が弾き終えたのは「ピアノソナタ第31番」だけだったと見るべきだ。つまり、のだめもまた「ピアノソナタ第31番」を弾き終えたら、パリのアパルトマンを去ることになると長田は懸念しているのである。しかし、雅之は「ピアノソナタ第32番」の演奏者として帰ってきていたのである。
『のだめカンタービレ』の最終部は、この「ピアノソナタ第31番」に集約されると言ってもいい。ミスタッチ無く弾けるかという意味でも、また快活に色彩豊かに弾けるという意味でも、のだめは「ピアノソナタ第31番」を弾くことができる。そもそもこの時点で、のだめはラヴェルや初期ショパン、初期ベートーヴェンなどの作品を絢爛に演奏できる技能を持っている。そこでそういうタイプのピアニストなのだということで終わりにしてもよい。真一も、うすうすそこがのだめの限界だろうと思っているし、ゆえにRuiとの恋の幻影も生じた。
ここでやや蛇足的に言うなら、映画版ではこの構図を転倒させ、のだめによる初期ショパンの「ピアノ協奏曲第1番」演奏に絢爛な演奏で際立つピアニストとして、中国出身のピアニスト、ラン・ラン(Lang Lang)を当てた。彼の演奏を原作におけるRuiのラヴェル「ピアノ協奏曲 ト短調」に当てるなら十分理解できるが、ここまでで描かれたのだめというピアニストはあきらかにラン・ランではない。そしてさらに言えば、こののだめの「ピアノ協奏曲第1番」はクリスティアン・ツィマーマンによる独創的な弾き振り演奏を意識して描かれたものだろう。この点、アニメではその冒頭の独自性が配慮されているが、残念なことにCDには収録されていないようだ。
のだめとシュトレーゼマンの悪魔の構図の解釈
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