18歳。処女だった。
処女で、どうしようもなくセックスに憧れていて、ルサンチマンとコンプレックスをギラギラに輝かせて自分を守っている、六本木のキャバ嬢だった。
4月。第一志望の大学に行けず、滑り止めで受かった大学の入学式にいやいや足を運んだ私を待っていたのは、見たこともないような甘い未来だった。
飾り付けられた、ぴかぴかの校舎。はじけるように豪華な、新入生歓迎のパフォーマンス。高校から大学へ。その敷居をまたいだばかりの子どもたちが嬉しそうに大講堂から
印刷したばかりのシラバスと、新生活応援のフリーペーパーと、授業選択のガイドラインのインクのすっぱい匂い。そのあいだを、まだ若草の匂いのする汗と、つけ慣れない香水のあまい香りのいりまじった体臭をふりまきながら、着慣れないスーツに身をつつんだ18、19の子どもたちが、うっとりとした目でさまよい歩く。
すらりとした
女の子のほうも、どう振る舞うべきかをすでに熟知したように、ビラを渡そうとする男の子たちの手のあいだを、悠々とすり抜ける。
「一流私大」とカッコつける、その大学のキャンパスは、持てるだけの軽薄さとイケてる感をありったけに発揮して、うなるように輝いていた。中庭に降り注ぐサークル勧誘のビラの数だけ、未来があるような気がした。
このやわらかな熱狂の渦の中、ふてくされて、暗い顔をした私だけが、なんだか浮いているように思えた。
私はあっさりと
はやく、ここに馴染みたい。
はやく、はやく、この宝石箱のようなキャンパスで、男の子に求められる、大きな一粒になりたい。
大学に入ったばかりの、男性との交際経験がなく、容姿にも自信がない女子学生にとって、恋人をつくることは、何にも勝る最優先事項だった。志望の大学に行けなかったルサンチマンを、ひりひりと痛む傷を早く消したくて、私はそこに、恋愛という強い薬を塗りこんだ。
シラバスと同じぐらいに分厚い「CanCam」を、教科書代わりに「小悪魔な女になる方法」を読み込んで、私はそうして、入ったサークルの中の上から3番目くらいにかっこいい、堅実な……堅実という言葉以外には形容できないほどに堅実な、2年の男の先輩と付き合いはじめた。
2週間後、私は処女を失う機会を得た。完璧な計画とタイミング。完璧じゃないのは、膣のコンディションぐらいだった。膣だって筋肉だ。緊張したら、入るものも入らない。そんなこと知る由もない私の女性器はガチガチになり、彼を拒否した。
処女にとって、まんこはまだ、自分のもんではない。あまりにも第三者的な失敗に、私はうろたえるしかなかった。相手は、なんのリアクションも返してこなかった。
そのまま、関係は崩れるようにして途絶えた。数週間後、私の耳に入って来たのは、彼が同じサークルの、ゆるふわ系の茶髪の一年女子と付き合いはじめたという噂だった。彼女の、顔ではなく、「CanCam」の最新号に載っていそうなパステルカラーのニットの色だけが、目に焼き付いていた。自分と同じブランドであろうそのセーターは、彼女のほうには、とてもよく似合うのだった。私は黙ってサークルをやめた。
チャラサーの、よくある茶番。茶番だけど、一人の処女の自尊心を叩きのめすには、十分すぎる出来事だった。
やっぱりこんな大学、わたしの居る場所じゃなかったんだ。もう一回、入りたかった大学を目指そう。私は仮面浪人を始め、親に内緒でこっそり予備校に通いはじめた。と同時に、予備校代を稼ぐため、キャバクラで働くことを決意した。
もしも今、当時の私に会えるのなら、全力でツッコミたい。「どっちかにしろよ!」と。ただ、その時の私はもう、何から手をつけたらいいのか、分からなかったのだ。
狂ったようにモテたかった。とにかく誰かに、君はOKだよ、と言ってもらいたかった。
女の性が最大の価値を持つ場所、そこに受け入れられることが、私が大丈夫であることの証明になる気がした。それが、あのゆるふわ茶パツと先輩に対する、最大の復讐だと思った。
学歴コンプレックスと、容姿のコンプレックス。その二つでじりじりと内臓を焼け焦がし、その一方で、大学の中では浮きたくなくて、マルイで買ったさえないピンクのニットを着て、ビミョーに髪を巻き、好きでもないパステルカラーのスカートを穿く、何もかもが中途ハンパな18歳。それが私だった。
手始めに私が応募したのは、自由が丘のクラブだった。自由が丘ぐらいなら、せいいっぱいおしゃれすれば、私でもひっかかるはず。
が、私はここでとんでもないはずれクジを引くことになる。
入店初日、まだ何も衣装を持っていない私は、お店にドレスを借りることになった。
しかし、そのドレスはなんと、とんでもなくワキガくさかったのである。
おそらく、何ヶ月もクリーニングに出していない。ワキの部分には、淡いブルーの布地に、くっきりと黄色い汗染みが浮かび上がっている。私は打ちのめされた。いくらなんでも、それはないじゃないか。
しかし、全くもって謎なのだが、私はそれをなぜか申告することができなかったのだ。親切心で貸してくれたママに悪いと思ったのかもしれない。なんか恥ずかしかったのかもしれない。ともかく、私は店の営業時間中、その強烈なワキガ臭を放つドレスを着続けた。
お客さんも、お姉さんも、無言でどん引きしているのが分かる。キャバクラなのに、お客さんが30センチ以内に座ってくれない。
違うんです! これ、私の匂いじゃないんです!そう言い訳したくても、それを伝えられるだけの耳アカ程度のコミュ力すらも、私は持ち合わせていなかった。営業時間中、私はにっこり笑顔で異臭を放ち続け、お客さんには避けられ続け、閉店する頃には羞恥心と屈辱感でボロぞうきんみたいになりながら、ソッコーで店をあとにした。
もう嫌だ。
こうなったら、日本一の場所を目指そう。そこまで行けば、少なくとも、ワキガのドレスは着させられないはずだ。
そう思って私は六本木を目指し、面接で落とされまくりながらも、なんとか真ん中くらいのレベルの、中規模の店のヘルプとして採用されたのである。
初めて足を踏み入れたキャバクラの店内は、大学なんか比べ物にならない、女の激戦区だった。
折れそうなほどに細い女の子。ミスユニバースかと思うくらい、プロポーションの完璧な女性。卵子の時は皆等しく丸いはずなのに、どこをどうして何をいれたらそんな形になるの、それどうなってんのと思わず口の中を覗き込みたくなるくらい美しい女子たちが、テーブルの周りを軽やかに飛び回っていた。
彼女たちがものの15分でやすやすと男たちと関係を作り上げる横で、私はただ、ひ弱に愛想笑いをするだけの存在だった。「関係に報酬が与えられる」、こんなにもクリアな図式の中ですら、私はどうふるまえばいいのか、全く分からなかった。女の子とすらも上手く話せない私を、男たちは皆スルーした。女の子も、マネージャーも、送りの車のドライバーさえも私をスルーした。黒服の一番下っ端の、ニキビ面のしょうもない男だけが私を口説いた。スルーされてスルーされてスルーされまくって、ここでは私の価値は無に等しかった。
なんでだろう。なんで私は、だれとも関係できないんだろう。
この店の女王の存在に気づいたのは、入店してから1ヶ月、私が自分のダメさに、ほとほと嫌になりかけていた頃のことだった——。
(後編に続く)
2015年2月10日より、全国書店などで発売! 壮絶な人生格闘記をぜひご覧ください!