笑わせる」から「笑われる」へシフトした『いいとも!』の変化

新章突入! タモリが『笑っていいとも!』の司会になって数年、マンネリなどの批判を受けながらも、90年代には日本のお昼の日常風景として溶け込むまでになりました。そんな中、『いいとも!』は微妙な変化の時期を迎えます。それはひと目ではわかりづらいのですが、現在のテレビ界全体に通じる大きな変化だったのかもしれません。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

50歳の地図—タモリ・リスペクト・ブームへ 1

日本のお昼の“風景”に変化が表れる

31年半続いた『笑っていいとも!』だが、事件などにより放送が急遽休止されたことは意外に少ない。1989年1月の昭和天皇崩御の翌週に、通常放送の替わりに総集編が流されたのがおそらく初めてのケースで、以後も1991年の湾岸戦争の開戦時、2001年のアメリカ同時多発テロ事件、2011年の東日本大震災のときなど数えるほどしかない(もっとも、休止せずとも途中でニュース速報が入って番組が一時中断することはたびたびあった)。

その数少ない臨時の放送休止が、1995年には3回あった。まず1月17日の阪神・淡路大震災の際には、発生当日(火曜日だった)から20日まで4日間、放送がとりやめられている。さらに地下鉄サリン事件の起きた3月20日と、同事件の首謀者としてオウム真理教の代表・麻原彰晃が逮捕された5月16日も休止となった。

ちょうど戦後50年の節目に起こった震災やオウム事件は、半世紀をかけて築かれてきた日本のあらゆるシステムの脆さを露呈させた。同時に、サリン事件後に駅などの公共空間からゴミ箱が撤去されるなど、日常的な風景に変化が見られるようになる。じつは、すでに日本の昼の“日常風景”となっていた『いいとも!』にも、司会のタモリが50歳を迎えたまさにこの年、あとから見れば決定的な変化が表れ始めていた。

80年代から『いいとも!』を“定点観測”してきたコラムニストの堀井憲一郎は、番組前期から続いてきたオープニングの型がこの年になって崩れたと指摘する(「ホリイが調べた「いいとも!」」、『別冊サイゾー いいとも!論』)。それまでは、オープニングから「テレフォンショッキング」のコーナーまでは基本的にタモリがひとりでこなし、レギュラー出演者は(いいとも青年隊やテレフォンアナウンサーなどをのぞけば)誰も顔を出さなかった。「テレフォンショッキング」の始まる時間も早かった。それが95年10月から、オープニングに5分ほどのミニコーナーが始まる。当初こそ番組冒頭における「テレフォンショッキング」の地位はまだ保たれていたものの、2年半後の98年春からは、オープニングコーナーに本格的に時間が割かれるようになり、その構成は番組末期まで続いた。オープニングをタモリが独占しなくなったことは、「森田一義アワー」を冠した『いいとも!』のアイデンティティを揺るがす事態ともとれるだろう。

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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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コメント

donkou ケイクス、タモリ連載更新されております。阪神大震災とオウム事件の1995年は『いいとも!』にとっても転機だった!の巻。 約5年前 replyretweetfavorite

abm なるほど。さんまが引退した95年が分かれ目だったのか。 約5年前 replyretweetfavorite