1963年、横綱時代の大鵬(中央) 〔PHOTO〕gettyimages
思い出すと懐かしい歴代の名力士たち
すごく久しぶりに大相撲を見に行った。初場所11日目。
相撲は、私の若かったころ、少し忘れられかけた時期があって、その後、若年ファンを巻き込んだ若貴ブームがあり、そのブームが去ったかと思ったら、今度はモンゴル力士が現れて盛り返し・・・と、さまざまな変遷を経て今日まできた。総括して言うなら、やはり相撲は日本の国技である。
私の記憶の中には、まだ大鵬という美しいお相撲さんがいる。大鵬と柏戸の時代だ。
そのあと、北の湖という、ふてぶてしくも憎めない強い力士や、りりしいけれど、どうしても横綱になれなかった貴の花、学生相撲から現れた輪島などが活躍した時代に入る。貴公子のような若三杉とか、ハワイ出身の小山のような高見山とか、小兵の鷲羽山とか、潰れたような顔の黒姫山とか、そこにやんちゃ坊主のような千代の富士が出てきて・・・、ああ、思い出すと懐かしい(この懐かしさを共有できない若い読者の皆さん、退屈させてごめんなさい)。
ただ、あのころ、相撲は若い人が夢中になるスポーツではなかった。学校で話題になることもなかった。私が相撲好きだったのは、父の遺伝だったのか。高校時代、相撲のある時にはすっ飛んで家に帰り、宿題をしながらテレビを見ていた覚えがある。テレビ中継の最初の時間帯には、十両の最後の取り組みも見ることができた。当時、蔵間という力士がいた。まだ、彼が有名になる前だったが、私は密かに彼のファンを自称していた。その後、入幕して活躍し、引退後は、病気で若くして世を去った力士だ。
ライブで見る相撲は待ち時間を含めたすべてが娯楽
ドイツに行ってからは、とんと相撲とは縁がなくなった。力士の名前も分からなくなってしまったが、でも、たまに日本に帰ってくると、ときどき父と見に行ったものだ。
午前中、一人で、まだ髷も結えない中学生みたいなお相撲さん候補者たちの取り組みから見たこともある。客席に誰もいない国技館は、だだっ広い空疎な空間だ。土俵際に審判だけがちょこんと座っていて、ガリガリ(に見える)の男の子たちの、あっという間に終わる相撲をじっと見つめていた。
国技館は3時ごろになると、客席が急激に埋まり始め、熱気がどんどん高まっていく。あの雰囲気は独特なものだ。相撲のいいところは、皆が、好き勝手にしゃべり、食べたり飲んだり、とにかくくつろいでいるところだ。テレビで大相撲を見ていると、なんて待ち時間の長いスポーツかと思うが、ライブであそこにいると、あの時間のすべてが娯楽なのだ。座っているだけで楽しい。
明るくライトアップされた土俵を視野に入れつつ、観客がそれぞれくつろいでいるその傍らで、力士が出てきては何度かしこを踏み、何度か塩を投げる。力士の体が闘志でみなぎって、紅潮してくる。「やっちゃえ、やっちゃえ!」とか、「お前、今日は引いちゃダメよー!」とか、呑気で温かいヤジが飛ぶ。そうするうちに、そこら辺の空気にまで、緊張感がだんだん漂ってくる。
時間いっぱいになると、ウワーッという歓声が盛り上がり、今まで見ていなかった人も、皆がそちらへ顔を向ける。力士がにらみ合い、今、立つかという一瞬、ほんの一瞬だけ、国技館が沈黙に包まれる。固唾をのむというのは、こういう光景をいうのだろう。
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