博多温泉劇場で新喜劇の座長が替わる度に行われていた深夜の稽古。
基本的に座長は週替わりだったから、それは週一の恒例行事だった。
座長が替わるということは、当然、芝居の内容が全て変わる。
だから新しい座長は必ず出番前日の夜には劇場に入り、翌日の昼公演に向けた稽古が出演者全員で行われていたのである。
しかし、吉本新喜劇の稽古というのは独特だった。
いや、独特にもほどがある。
大げさではなく、こんな稽古をしている劇団は世界中を探したって他にないだろう。
「ほな、やろか」
座長の合図を皮切りに始まる舞台稽古。
しかしそれは、僕らが福岡吉本の稽古場でやらされていたものとは、あまりにもかけ離れていた。
断っておくが、僕らがやっていたものこそが万人がイメージする「舞台稽古」であり、それは今でもスタンダードなハズである。
しかし、温泉劇場で行われていた吉本新喜劇の稽古は、ちょっと考えられないスタイルだった。
まずは全員が車座になって台本を通しで読む。これは「本読み」と呼ばれるものだが、ここで大声を出していたのはエキストラ役の福岡芸人のみ。
大阪からやってきた芸人さんたちは淡々と台詞を「音読」するだけだった。
「ほな、立とか」
本読みが終わるとすぐに舞台を使った「立ち稽古」だ。
しかしそこでも、先輩方は誰も声を張らなかった。
台本を見ながらボソボソと台詞を早口でまくし立て、舞台上の動きや出入りなどの段取りを確認していく。
お決まりのギャグのパートは「……などありまして」という一言で、そっくり丸ごと飛ばしてしまう。
登場音や効果音の類でさえも「音、ありまして」で割愛するのだ。
そんなペースで進んでいくものだから、30分はあると聞かされていた芝居の第一景が、稽古では20分もしないうちに終わってしまった。
何これ? これが稽古なの?
なんで誰も声を張らないの?
ありましてって、それでいいの?
座長さんは内心、怒ってないのかな?
唖然とする僕たち福岡芸人を尻目に、前半部分を終わらせた先輩方が小休憩に入った。
さすがにこれで終わりではないらしい。
そりゃあそうだろう。
僕たちがイベントで披露するコントの稽古にどれだけの日数をかけているか。
稽古から声を張らなければ、吉田さんにどれだけの罵詈雑言を浴びせられるか。
こちらが素人に毛が生えたレベルだということをさっ引いても、こんな稽古で舞台に立たれてしまったら、いくらなんでも僕たちの立つ瀬がない。
雑用係として稽古に立ち会っていた僕以上に、エキストラ役に選ばれた福岡芸人たちは動揺していた。
あまりにも違う。違いすぎる。
神妙な顔つきで舞台の隅っこに立っている華丸が、否が応にも気になって仕方ない。
「はな、返そか」
深夜の劇場に、座長の声が静かに響く。
ここで言う「返す」とは、もう一度最初からやるという意味だ。
ここから、本格的な稽古が始まるのかな?
うん、そうだろう。そうに決まっている。そうじゃないと、僕たちが困るんだ。
次は先輩方、ちゃんとやってくださいよ。
しかし、そんな願いを深夜の博多温泉劇場は聞き入れてくれなかった。
僕たちをあざ笑うかのような光景が、ガランとした客席が見守る舞台上に広がったのだ。
やっぱり、誰も声を張らない。
うわごとのように台詞を早口でつぶやき、ちょこまかと動き回っては「などありまして」のオンパレード。
まるでデジャヴである。
しかしこれが本当のデジャヴなら、まだマシだったことだろう。
「立ち稽古」と「返し稽古」には1カ所だけ違いがあった。
数分前との唯一の相違点。それは——
先輩方は、もう台本を手放していた。
今日のお昼に僕が配った台本を。
さっき読み合わせて一度やってみただけの台本を。
今日も2公演を終わらせたばかりの先輩方は、もう誰も持っていなかったのだ。
台本と照らし合わせながら見ていると、さすがに一言一句が完璧というわけではなかったが、どの台詞も大まかな内容は合っていた。
むしろ台詞の言い回しや言葉尻を先輩方は個々のキャラクターに合わせて変換していたから、台本で読む以上の「吉本新喜劇」が、早口で見せ場のギャグは飛ばされているにもかかわらず、悠然と舞台に姿を現し始めていたのである。
「お疲れさまでした!」
結局、景ごとに立ち稽古と返し稽古を1度ずつやっただけで、あとは本番よろしく!の解散となった。
いくらコケ役のエキストラとはいえ、選ばれし福岡芸人の顔には不安という文字しか書いてなかったし、雑用係の僕としても半信半疑だったが、だからと言って、それを口に出せるような雰囲気でもない。
おそらく、これが通常営業なのだ。だとすれば——。
僕たちがやっている稽古がどうのという話ではない。
時間をかけているとか、声を張っているとか、そんなことはどうでもいい。
ちょっと信じられないが。
先輩方は、こんな稽古で観客を笑わせているのだろう。
失礼ながら、テレビで見たことがない芸人さんでさえ、このレベルなのだ。
実際、翌日の新喜劇は初日から大爆笑の連続で、終演後の座長挨拶には客席から惜しみない拍手が贈られていた。
そんな舞台を眺めながら、僕は「芸人」という職業を目指したことを激しく後悔した。
それと同時に自主公演の成功で、てっきり「芸人」になれたと思っていた自分を心から恥じた。
プロとアマチュアの差が、こんなにもあるなんて。
同じ吉本でも大阪と福岡では、こんなにも違うなんて。先輩方の背中は遠い。
あまりにも遠い。遠すぎる。薄々感づいてはいたけれど、やっぱりここは異常な世界なのだ。
ただのお笑い好きが、自宅から顔を出すような場所ではない。
舞台袖で雑用に追われながら、ぼんやりと考える。
たとえば10年後の僕は、一体どうなっているんだろう?
どの角度からイメージしても、浮かんでくるのは親父から冷笑されている僕の姿だった。
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