日本建築論

万博日本館にみるエキゾチック・ジャパンの系譜、その深層:第2章(2)

20世紀以降の日本建築には、「日本という国への意識」が脈々と流れています。だから、日本の建築を見れば、「日本とは何か」「日本的なるものとは何か」という問いに対峙することになる。 本連載は、伊勢神宮、国会議事堂、桂離宮、日光東照宮など、シンボリックな有名建築をとりあげ、それらを巡って重ねられてきた議論を追います。日本のナショナリズムとモダニズムの相克が、いま蘇る!

○前川國男の日本館

 東京オリンピックは、敗戦後の日本が国際社会への仲間入りを象徴するイベントだった。同様に、大戦後初の万博に日本が参加したときの日本館は重要だろう。1958年のブリッセル万博である。

ブリュッセルでは、1935年にも万博が開催されており、第2次世界大戦前であるその時には古典的なテイストの保守的な近代建築やアールデコ風のパヴィリオンが目立っていた。だが、その23年後の1958年には世界各地のモダニズム建築家が活躍することになった。

 例えば、ル・コルビュジエの事務所で、クセナキスが担当したフィリップス館、レイマ・ピエティラによるフィンランド館、スヴェレ・フェーンのノルウェー館、ファン・デン・ブローク、バケマ、リートフェルトらのオランダ館、エゴン・アイアーマンのドイツ館、そして前川の日本館である。予算は充分ではなかったらしいが、前川の建築は高く評価され、万博の審査において120館のなかで9位に選ばれたという。

 では、どのようなデザインだったのか。

ブリュッセル万国博覧会の日本館:立面図[前川國男] 図版提供:前川建築設計事務所

 全体は浅い勾配の大きなバタフライ屋根(いわゆる三角屋根を逆にしており、中央が低く、両端が高い)をもち、逆V字の鉄筋コンクリートの柱で支える。屋根の下には、スチールで補強した木造部分があり、連続する白壁の上の欄間はガラスをはめ込む。また妻面の両サイドからは、切妻屋根をもつ背の低い木造平屋が伸び、それぞれレストランと事務室になっている。前者は日本庭園に面した列柱のある廊下を通じてアクセスする。これらも浅い勾配の屋根であり、バタフライ屋根と呼応したものだ。

 平面図でみると中央に庭を設け、角から入って時計廻りにぐるりと展示物を一巡する動線をもつ。中央の石庭は内部の床にも侵入している。外観は象徴的な大屋根が目立ち、水平性を強調した横長のプロポーションである。きわめてシンプルな造形だが、透明感が強く、外部と内部が相互浸透するようなデザインと言えるだろう。


○内外の反響

 日本館は「日本人の手と機械」をテーマとし、展示デザインを山城隆一、剣持勇、写真を渡辺義雄らが担当した。具体的には、「歴史」、「復興」、「技術」、「生活」という4つのセクションをめぐる。「戦争の苦悩と破壊ののち、日本人の手は、再びこつこつと働きはじめる。あくことなく、新たなよろこびをもって」と記されたように、世界に向けて戦後の日本を紹介する重要な機会だった。

 が、戦後初の万博参加だったにもかかわらず、残念ながら、当時の建築雑誌を見ると、国内では前川の日本館はあまり話題になっていない。おそらく、多くの日本人が訪れた東京オリンピックや大阪万博とは違い、1950年代の海外だと、渡航して実際に直接、見学できる日本人は限られていたためもあるだろう。

 もっとも、海外のメディアでは、これを好意的にとりあげていた。『建築文化』1958年10月号において、幾つかのテキストが抜粋されているので、下記に引用しよう。


 タイムス誌1958年5月6日号は、こう記している。「日本館はコンクリートの支柱に中央で支えられた優美な上向にそった屋根を持ち、その屋根の下には「ガラスの籠の主題」が素晴らしく洗練された味をもって繰り返されている。透き通った箱の内部の空間は、現代の日本建築が伝統的な住宅から受け継いで来た微妙な時代的な関連性を表現していた」。またベルギー社会党日刊紙の5月23日号は、「鳥の滑空中に拡げた翼のような屋根」をもち、「前川國男は日本の住宅の千年の伝統の中にあるもっとも完成したものと思慮に富んだモダニズムを結びつけた」という。いずれも日本の伝統との関係を指摘している。そして自由ベルギー紙の5月21日号は、以下のように論じた。

「寺院以外に、より日本的なものは容易に見出せる。あっさりした線、自然のままの肌の木、明るい壁板、そのすべてが軽快で、Heyselの大風の一吹きで藁のごとく持ち去られそうに軽い。しかしそれは多くの地震が、日本人にいかに家を建てるかを教えたことに由来するのだ。疑いもなく、屋根は非常に日本的ではないだろうか。それにもかかわらず、貴方がもしそれを裏返してみれば見慣れた事実に余り遠くないだろう。総じて日本人は彼等の国民の持つ才能に叛くことなく、完全に近代的な建物をかちえた、ただ一つの国民のように思われる」。


 バタフライ屋根は日本の古建築のヴォキャブラリーではないが、海外のメディアは屋根に注目して日本的なものを感じている。なるほど、丹下健三が最優秀案に選ばれた1943年の在盤谷日本文化会館のコンペにおいて、前川は書院造を意識した平面計画と伝統的な屋根をもつ案を提出し、二位になっていた。

 しかし、戦後は1950年代にテクニカル・アプローチを掲げたように、彼は技術や工業化の問題をとりあげ、当時の伝統論からも距離を置いている。海外の万博における日本館では、一歩進んでモダニズムと日本建築の融合を試みた。前川は、流政之(ながれ・まさゆき)も壁画で参加したニューヨーク世界博の日本館(1964年)も手がけた。そこでは中心の鉄骨柱から屋根を吊り、宝形造のフレームに見えなくもないが、屋根が直截的な象徴性をもっているわけではない。むしろ、荒々しく石を積んだ外観が城壁をほうふつさせる。そして1970年の大阪万博において、彼が設計した自動車館や鉄鋼館はまったく日本的ではない。

ニューヨーク万国博覧会の日本館:断面図[前川國男] 図版提供:前川建築設計事務所


○戦前の日本館

 1851年のロンドンで始まった万博に日本が初めて登場したのは、三人の芸妓のいる寄棟屋根の茶店(農家をイメージしたもの)を出品した1867年のパリ万博である。国としての正式な参加は、1873年のウィーン万博からだった。戦前の万博で建てられた日本館は、基本的に海外に対して異国趣味を喚起させるような、伝統的なデザインである(藤岡洋保、深谷康生「戦前に海外で開かれた国際博覧会の日本館の和風意匠について」『日本建築学会計画系論文報告集』第419号、1991年)。

 例えば、ウィーン万博では、鳥居、神社、神楽殿、日本庭園がつくられた。また1876年のフィラデルフィア万博は寄棟の屋根による「日本制式の家屋」、1900年のパリ万博は「法隆寺金堂ニ則ル」日本特別館、1904年のセントルイス万博は眺望亭、金閣(喫茶店)、吉野庵、日本庭園などがつくられている。残された図版や写真を見ると、やはり屋根が目立つ、いわゆる日本建築だ。

 明治以降、国内では建築家を養成し、まずは古典主義やゴシックなど、西洋の様式を積極的に吸収させていた一方、海外の万博ではその学習成果を示すのではなく、ベタな日本らしさをウリにしていた。実際、当時の日本は工業製品ではなく、海外で賞賛された磁器や漆器など工芸や古美術を輸出しており、万博でおしだしたイメージも商品とテイストをあわせたオリエンタリズムを喚起するデザインだったと言えるだろう。

 つまり、建物は単にモノを展示する容器ではなく、それ自体が西洋になじみがなかった「日本」を直接に体験できる重要な展示品である。ただし、必ずしも正確な日本建築の再現ではない。コスト、職人、材料などの問題もあるが、むしろ外国人にわかりやすいように、デザインを折衷、あるいは再構成している。


○提灯の起源—外国人にわかりやすいデザイン

 1889年のパリ万博や1910年の日英博覧会では、日本人ではなく、地元の建築家が設計を担当したが、それでも和風の日本館だった。後者の記録写真をみると、池に面したパヴィリオンの軒先に提灯がぶら下がっている。

 著者が以前、深圳の建築系テーマパーク「世界の窓」を訪れたとき、部分的に再現された1分の1の桂離宮があり、軒先に赤提灯が並ぶという日本人が考えない組み合わせに驚かされたが、こうしたイメージは万博を契機に広がったのだろう。なお、1867年や1900年のパリ万博でも、軒先の提灯を確認できる。

深圳のテーマパーク「世界の窓」:提灯桂離宮

 和風といっても、入母屋が多いこと、千鳥破風や唐破風、あるいは花頭窓の使用などが特徴だった。すなわち、神社風は例外であり、派手な仏教寺院風のデザインが選ばれている。

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日本建築論

五十嵐太郎

明治以降、とりわけ20世紀の日本建築論の底流には、「日本という国への意識」というものが逃れようもなく響いています。そうした中から、実際に形をとって立ち上がってくるのが、日本の近代建築であり、それによって覆い尽くされているのが日本の都市...もっと読む

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コメント

okuno_ao https://t.co/MRadTpB4ql https://t.co/FKywzLFUL6 約4年前 replyretweetfavorite

consaba 「外国人に分かりやすい」――第2章(2)万国博覧会における<日本館らしさ>前川國男の日本館 | 6年弱前 replyretweetfavorite

jofuruya 「外国人に分かりやすい」――第2章(2)万国博覧会における<日本館らしさ> | 6年弱前 replyretweetfavorite