マンネリ化した『いいとも!』とお笑い第三世代の台頭

近藤正高さんがタモリの足跡を振り返る「タモリの地図」、40歳編の最後は30年続いた『笑っていいとも!』が軌道に乗り始めた頃のお話です。アナーキーな芸人として知られていたタモリがお昼の顔になり、すぐ終わると思っていた『いいとも!』が人気になって数年続くと、今度は「マンネリ」と批判する声があがるようになります。時は80年代後半、漫才ブームが去り、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンなどの「お笑い第三世代」が台頭し始めていました。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

40歳の地図—『いいとも!』長寿番組への道 3

タモリ、『いいとも!』新プロデューサーをバーに呼び出す

『笑っていいとも!』の初代プロデューサーだった横澤彪は、1987年9月に、『いいとも!』ほか『オレたちひょうきん族』などすべての番組から降りることになった。このときフジテレビ側は、横澤があまりに多くの番組でプロデューサーを務めていることで、彼の身に何かあった場合を考慮するとの理由から社命を下したとされる。

『いいとも!』で横澤の後任に就いたのは、番組開始当初のディレクターだった佐藤義和である。佐藤は1984年にいったん『いいとも!』を離れ、同じくスタジオアルタからの生番組『ライオンのいただきます』(現在の『ライオンのごきげんよう』の前身番組)を立ち上げ、軌道に乗せていた。

佐藤はプロデューサー就任にあたり、『いいとも!』をあと5年続けるにはどうしたらいいかを考え、ディレクターを全員、出演者も大幅に入れ替えた。この改革を断行した直後、佐藤はタモリから青山のバーに呼び出される。何事かと思いきや、タモリは何も話そうとしない。けっきょく真夜中まで一緒にいたものの、まともに話さないままその日は別れた。タモリからの呼び出しは翌日もあったものの、前夜と同じく彼は何も言わない。

そんな夜が1カ月続いたある晩、バーを出るときに、タモリは送っていくよと佐藤をタクシーに同乗させた。そして車が家の前に着き、佐藤が降りようとすると、タモリはこんな一言を発したという。「佐藤ちゃん、今度の改革、成功だったね」と。

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この連載がついに書籍化!「森田一義」はいかにして「タモリ」になったのか。関係者への追加取材や大幅加筆でその足跡をさらに浮き彫りにします!

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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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donkou タモリ連載、更新されました。『いいとも!』と80年代後半~90年代前半におけるテレビのお笑いの動向をおさらいの巻。 5年弱前 replyretweetfavorite