祖母の葬式が済んでロサンゼルスに戻ると、僕の沈んだ気持ちなど何も気にしていないような青空が、いつも通り広がっていた。道行く人や車も無関心だった。一人暮らしのワンルームのドアを開けた。床に散らかった衣類。流しに積まれた皿。危篤の知らせを受ける前にあった日常が、何食わぬ顔で部屋に居座り続けているのが、逆に非現実的に感じられた。
仕事も翌日から平常業務だった。平常、といっても出勤時間は決まっていない。コアタイムすらない。在宅勤務も問題ない。上司よりも遅く来たり早く帰ったりしたら気まずいなどということもない。夕方に家族との時間が欲しい、渋滞を避けたい、そういう理由で、朝6時に来て夕方4時に帰るというような働き方をする職員も多くいる。もちろん全くオフィスに来ないのでは問題だし、ミーティングもあるから、完全に自由と言うわけではない。だが、研究開発職に究極的に求められるのは、職場にいることではなく、成果を出すことである。そういう考えなのだと思う。
この日は時差ぼけもあって、起きたら9時前だった。窓のシェードを開ければ鬱陶しいほどに真っ青な空で、9月下旬だというのにアパートのプールには青い水面が揺れていた。朝食は納豆ご飯と味噌汁と漬物とカフェラテ。考えるのが面倒なので、メニューは毎日変わらない。寝癖を直して服を着る。ジーンズにシャツにスニーカー。ラフなようだが、カジュアルな文化のカリフォルニアでは、襟付きのシャツを着ているだけでフォーマルな方だ。