驚くべきは、企みに満ちた、それゆえ多少理解されづらいところのある「太陽」という作品が、新人賞受賞のデビュー作であるということ。この作品がきちんと評価を得て、受賞できるという目算はあった?
実は、受賞の2年前にも違う作品で同賞に応募していて、そのときは落選したんです。それで半ばやけくそというか、好きなものを書けばいいやと完全に開き直りました。選考受けがいいのはどういうものかとか、よけいなことは全く考えませんでした。
どんな人に読んでほしい、というのはありますか。
以前まで読み手のことはほとんど想定できていなかったんですが、デビューしてからは、これをいったいどんな人が読んでくれるんだろうと、ちょっと気にするようになりましたね。それで、人が重要な判断を重ねたり、エッジに立ってものを考える時には、読書体験が大きな支えになるんじゃないかと思いました。
例えば科学者でも起業家でも、何かの先端に立って仕事をしている人って、わりと読書を大切にされている人が多いと聞きます。だから、人が判断したり思考したりする際の助けになるようなものを少しでも提供できたらと、今は思っています。
僕がデビューしたのは純文学と呼ばれるジャンルで、普段から文芸誌を読んでいるようなコアな人にはもちろん読んでもらいたいし、おもしろいと評価もされたい。ただ、それだけじゃなくて、純文学の外部にある世界とも、作品を通してコミュニケーションできるようでありたいですね。例えば音楽や映画のような他の表現が好きな人にも、おもしろがってもらえる作品になっていたらいい。
そもそも、小さいころから作家になりたかったのですか?
そうですね。心の中にはそういう思いはずっとあって、具体的に動きはじめたのは大学の卒業が見えたころ。やるならそろそろやらなくちゃいけないなと、作品を書きはじめました。
いろんなジャンルの表現があるなかで、なぜ小説だったのでしょう?
漫画やゲーム、テレビと、同時代の人なら浴びてきたであろうカルチャーを、僕も小さいころからひと通り潜り抜けてきました。兄弟が多かったので、浴びるソースは人より少し多かったかもしれません。
その中から小説を選んだのは……、そうですね、文字による表現がいちばん汎用性に満ちていると思ったから、でしょうか。人の心を描いたり、普遍的なものに迫ったりすることをずっとやってきた分野なんじゃないかと。
本を読むのは好きだったんですが、僕の場合は読みながらいつも考えるのは、たとえば「ふつうとは何か」とか、「普遍性とは?」といった、概念や観念でした。関心のあることをさらに推し進めるには、文章による表現が合っていると思った。
小説、とくに純文学は、何だか「無差別級」って感じがしませんか? どんなことでも扱えるし、大きな相手とも小さい相手とも闘えて、いかようにも書くことができる。せっかく挑むなら、何でもできる器たる小説にしようと思い定めました。
かっこいい。男は黙って純文学。といった心境でしょうか。ただ小説、とくに純文学の世界は、漫画などにくらべればずいぶんマイナーな世界ですよね。それでもかまわなかった?
たしかに純文学に華やかさはありませんが、真剣味だけはたっぷりあるじゃないですか。そこがいちばん惹かれるところですね。
売れる部数の多寡のことがいまいちぴんとこないのは、僕が新人だからかもしれませんが。真剣さでいえば、純文学はかなりいい線をいっているジャンルで、そこを突き詰めているからいまもこうして世の中に存在しているし、信頼されているのでしょう。
たしかに真剣味があればこそ、「ここの助詞は〝が〟がいいのか、〝は〟でいいのか」とか、「この人物にリアリティはあるのか」などと、つくりごとの出来映えをあれこれ追究したりできるのでしょうけれど。そうでなければ、「そんなの、どうでもいいんじゃ?」という問いに反論できません。
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