コミュニケーションは、「才能」ではない
—— コミュニケーションを気持ちよくおこなうには、さまざまな技術があるとのことですが、いま「コミュ障」と言われている人たちも、それを身につければコミュ力を上げられるということでしょうか?
吉田尚記(以下、吉田) はい。今回出版する『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』はそのための本です。ただ、注意してほしいのが、コミュ力を上げるのに「遠回りしない方法」はあるけれど、「近道」はないということです。あまりそう思われていないのですが、コミュニケーションって難しいんですよ。
—— そうでしょうか? 難しいことが知られているからこそ、コミュニケーションの本が山ほど発売されたり、「コミュ障」や「KY(空気が読めない)」といった俗語が生まれたりしているのかなと思っていたのですが。
吉田 そういう言葉はむしろ「コミュニケーションというのは本来人間に備わっている能力だ」という前提があるから生まれているんです。コミュニケーションは後天的に練習する必要がある、難しいものなんですが、それを世の中は誤解している。だから「コミュ障」って言葉が流行ったんですよ。
ここで重要なのは、「コミュ障」という言い方には「障害」という言葉が使われていることです。僕はコミュニケーションにこの言葉を使うのはおかしいと思っています。「障害」というのは「本来的に備わっている機能が妨げられている」という意味ですよね。世の中では、コミュニケーションって、誰でもできて当たり前だと考えられているんですよ。
—— たしかに、言われてみればそのとおりです。
吉田 水泳ができないからって「水泳障害」とは言わないでしょう? コミュニケーションって本来難しいし、練習しないとできるようにならないもののはずなのに、なぜか世の中では人間が当たり前にできるもののように思われている。そうではなくて、僕はコミュニケーション能力の上達には、練習が必要なんだということをまず伝えたいんです。
—— 難しいことなんだから練習していいんだ、と。
吉田 そう。練習すれば何とかなるし、その練習の道筋を示せればと考えたわけです。よくコミュニケーションに関する本で、「心を込めて相手のことを理解しましょう」みたいな精神論を書いているものがありますが、今回の本には一切ありません。すべて、誰にでも再現可能な「技術」です。たとえばさっき「KY」という言葉が出ましたけど、「空気を読む」ことについても本のなかで説明しています。
—— 「空気を読む」ことも技術でできるようになるんですか? とにかくその場にいる人の気持ちを考えるしかないのかと思っていました。
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