放射線の政治問題化が「普通の人」を去らせる
前回までのテーマは、
問1 「福島県の米の生産高は全国都道府県ランキングで、震災前の2010年は何位で、震災後の2011年には何位か?」
で、答えは、「2010年が4位、2011年が7位」でした。
そして、ここでは福島の一次産業の中でも特に農業の中心にあるコメの状況がどうなっているのか、それが日本全体の農業の問題にいかにつながっているのか、どのような解決策がありえるのか述べてきました。
結論としては、
・「生産は回復しつつある。ただし、価格が上がらない」状況があること
・流通構造や付加価値・合理化を意識することの必要性
を述べました。
「福島の農業の問題」と言うと、いわゆる「風評被害」の問題とセットで語られがちですが、必ずしもそれだけの問題ではないことが意識されるべきでしょう。
さて、ここまで続けてきた農業の話を締めくくるにあたり、放射線の問題について触れなおしましょう。
そこで、
問2 「福島県では放射線について、年間1000万袋ほどの県内産米の全量全袋検査を行っています。そのうち放射線量の法定基準値(1kgあたり100Bq)を超える袋はどのくらい?」
の話に移ります。
まず、議論の前提を述べておきます。ここでの「放射線の話」は最低限にとどめます。
放射線の話に触れると、「○○という視点が足りない」「○○に言及がない」というクレームが必ず来ます。そのうち、「安倍政権への批判が足りない」とか「原発再稼働が進もうとしているというのにこんなことを言っている。こいつは原発推進派」とか、放射線と全く関係ない「あんたがそれ言ってドヤ顔したいだけだろう」系のクレームまではじまります。
放射線のことを科学や産業の観点から冷静に語ることを越えて、政治問題化したがる人がいるわけです。
それはそれでいいんですが、問題は、政治問題化すると、普通の人がみるみるうちに去っていくということです。政治問題化しだすと、答えのない神学論争になります。本来の「神学論争」は知的な営みですが、そうではなく、誹謗中傷・罵詈雑言が入ってくる。
そして、「安全」vs「危険」とか、「お前は体制側に都合がいいことばかり言ってる!」vs「『なんでも反対』の答えありきで非科学的なこと言うな!」という二項対立構造の中でずっと小難しい議論をしている。
本連載は、そういう「放射線の話を意識高く続ける少数者」をターゲットにはしておりません。
3・11から3年以上たった現在、そういう「放射線意識高い系」の一方には、「放射線の話」と聞いた時点でもう聞く気がなくなったり、聞く気はあっても思考が止まってしまってシャッターを閉じてしまったりする人が出てきている。
これはとても残念なことであり、改善すべきことです。
本来は、「安全か危険か」とか「体制側か反体制側か」などよりも、もっと大切な「そこに生きる人が実際どうあって、どうなるべきか」という議論こそが大切だからです。
そういう一度はシャッターを閉じてしまった人に、「もう一回だけ軽くシャッター開けてもらえませんか。長居しませんので」とポイントを絞ってお伝えできれば、というのが本連載のスタンスです。
詳しい人からしたら「議論がアラすぎる」「こんな視点が足りない」ということもあるかと思いますが、それはあえてそうしているものです。少しだけお付き合い下さい。
あまり知らないのに福島を語りたがる人がよく言うセリフ
じゃあ、どんな話をするか。まずは「放射線の話にどう向き合うべきか」「そもそも放射線の話がなんで面倒くさいのか」という話そのものが必要でしょう。
私は、震災後、数えてみれば200回以上、全国で講演をしてきました。全国回って色んな方と話をしていて、福島の問題になると、よく出てくる定型句があります。
「福島はどうなるか分からないからね」
これです。100回は聞きました。
「あまり知らないのに前のめりに福島を語りたがる人」ほど、これを言います。そして、会話を続けるほど、うんざりすることしばしば。
パターンは二つあります。
一つは、「だから危険に違いない」と言いたい人。
その定型句の前には「放射能は目に見えない以上……」「チェルノブイリでは……」とか色々な前提らしきものが付きます。
「そう仰るからには多かれ少なかれ放射線のこと、チェルノブイリのことについて知識があるんだろうな」と聞いていくと、どうやらそうでもない。基本知識も何にもない。
「私の知り合いの知り合いの人が言ってたんだけど」などと言いながら、結局なんの内容もない話を続ける。
さらに、「ではその話って、福島にそのまま当てはめることが可能でしょうか」と詰めていくと、答えられなくなる。「いや、放射能は目に見えないからー」とか「チェルノブイリで起こったことは福島でもそのまま起こるに違いなくー」とかいう話で終始してしまうんですね。
もちろん、まれに実際に放射線やチェルノブイリに詳しい方もいらっしゃいますが、詳しい人ほど、そんな短絡的に「だから危険に違いない」と結論付けるようなことはしません。
もう一つは、「福島の状況を本当に何も知らない」ような人。
「福島はどうなるか分からないからね」と悟ったような顔をして言うので、やはり、私も「そう断言するなら福島事情に相当詳しいのか」と話を進めるわけですが、特になんの知識もない。
にもかかわらず、「福島の人はー」「知り合いが福島に行った時にー」と空虚に饒舌、根拠なき自信。「福島の人って、200万人いるうちの誰ですか?」「あんたの知り合い、知らねえよ」という話です。
これは、端的に言えば、「福島がどうなるか分からない」のではなく、「あなたが福島のことをどうなるか分かっていない」という話です。自分の知識不足・不勉強をもって「福島の未来は先行き不透明」みたいな話されても困ります。自分が福島を分かっていないだけなのに、福島が分からないという話にすり替えている。
たしかに、3・11直後は「福島はどうなるか分からない」と言わずにはいられない状態があったでしょう。しかし、あれから3年以上たち、様々なデータが揃ってきている。