日本建築論

伝統は屋根に表れる?大阪万博に生まれた奇跡の風景とは:第2章(1)

20世紀以降の日本建築には、「日本という国への意識」が脈々と流れています。だから、日本の建築を見れば、「日本とは何か」「日本的なるものとは何か」という問いに対峙することになる。 本連載は、伊勢神宮、国会議事堂、桂離宮、日光東照宮など、シンボリックな有名建築をとりあげ、それらを巡って重ねられてきた議論を追います。日本のナショナリズムとモダニズムの相克が、いま蘇る!

○丹下健三の屋根

 近年、日本人建築家が、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を連続受賞している。これで日本人の受賞は、合計6組となり、国別ではアメリカについで2位となった。この十数年に限定すれば、トップだ。

 こうした世界的に高く評価される日本の現代建築の流れを最初につくりだしたのが、丹下健三である。彼は1987年に日本人として最初のプリツカー賞の受賞者となった。審査員がコメントした受賞の理由としては、建築家としてだけではなく、門下生に磯崎新や槇文彦らを輩出した教育者、あるいは理論家としての評価も含まれており、作品としては、とくに東京オリンピックのスタジアムが評価されている。また過去の伝統からの連続性を意識させることも言及されていた。

 やはり、20世紀を振り返ったとき、丹下が日本の現代建築を世界に接続する流れをつくったこと、また同時に日本的なものというテーマを打ち出したことが特筆されるだろう。

 20世紀半ばの状況について、丹下事務所のスタッフだった神谷宏治は、こう指摘している。

「インターナショナリズムというのが近代建築の特徴であり、普遍性をもっているということが言われていたわけですね。ところが、やはり日本人らしさというものを持たないと、国際社会の中で日本が独自性を表現・表明できない。そういうことから、近代建築の中に日本の伝統を背景にした要素を取り入れて、国際的な評価を高めようということが主な理由だと思うのですね」(『丹下健三 伝統と創造』2013年)。

 実際、プリツカー賞において日本以外の非西洋圏で活動する受賞者は、メキシコのルイス・バラガン、ブラジルのオスカー・ニーマイヤーとパウロ・メンデス・ダ・ロシャ、中国の王澍であり、いずれも地域性を強く打ちだす。つまり、アジアや南米勢は、世界への階段として、インターナショナルではない要素も求められていたのだ。

 むろん、代々木競技場の大屋根は、突然変異で登場した唯一無二のオリジナルではない。モダニズムが導入した鉄筋コンクリートの構造技術が発達し、戦後にさまざまな造形の可能性が広がった時代の産物でもある。

左:代々木競技場[丹下健三]/右:イエール・ホッケー場[エーロ・サーリネン]

 当時、エーロ・サーリネンのTWAターミナルやホッケー場、ヨーン・ウツソンのシドニー・オペラハウス、あるいはオスカー・ニーマイヤーによるブラジリアの議事堂や聖堂など、世界各地で構造表現主義というべきダイナミックな空間が登場していた。とくに鳥が翼を広げたようなTWAターミナルは空港、ヨットの帆が連続するようなオペラハウスは海辺のランドマークであり、屋根のシルエットはシンボリズムにつながる。屋根は一般人にも視認性が強く、わかりやすさや親しみやすさをもたらし、オペラハウスは人工的な構築物としては最も若い世界遺産に選ばれた。

左:TWAターミナル[エーロサーリネン]/右:シドニー・オペラハウス[ヨーン・ウツソン]

 ただし、丹下のオリンピック・スタジアムの場合は、大胆な吊り構造のデザインを、スポーツの躍動感の表現としてだけでなく、日本的なものと接続した。戦前の帝冠様式においては、近代的な躯体の上に、和風の瓦屋根をベタにのせることで、日本らしさを表現されていたが、丹下は最新の構造技術を駆使しながら、伝統的なものへの回路を発見したのである。


○外部からの視線・内部からの批判

 実際、建築史家の伊藤ていじは、アメリカの学生が国立屋内総合競技場を「神道の社の屋根のような建物」と表現したエピソードを紹介している(『日本デザイン論』鹿島出版会、1966年)。屋内総合競技場は、サーリネンのホッケー場と類似した吊り構造だが、サーリネンとは違い「東洋的である」と感じたという。「神社本殿の屋根のように二つの反曲面が接触してできあがる鋭くとがった凹形の峰のせいであったらしい」。

 西洋ではこうした造形がないから、東洋的と感じられる。アメリカ人学生は、西洋の分析法や合理精神を踏まえたうえでの、日本のデザインだとみなす。彼によれば、「伝統的な日本の建築や工芸品のなかには多くの曲線が見出される」。幾何学的に定義されたものではなく、自然の曲線を引き出すからだ(もっとも、競技場には「てりむくり」の反転曲面がない(立岩二郎『てりむくり』2000年))。

 しかし、現代の日本人がこのスタジアムを見て、ここまで本当に日本的なものと感じるのかどうかは微妙だろう。こうした特徴は自国にいると気づきにくいが、外部の視線の方が差異に敏感である。もしくは安藤忠雄の建築が、海外から神道的または禅の空間と評されるように、異国へのオリエンタリズムが幾らか介入しているということかもしれない。

 もっとも、屋根のシンボリズムは大きな波及効果をもちうるのも事実だ。例えば、1960年代末の韓国において、金壽根が設計した国立扶余博物館の屋根や正門が、日本の神社の千木や鳥居を想起させるとして、『東亜日報』から批判されたようにである。(禹東善「韓国の伝統論争」『20世紀建築研究』INAX出版、1998年)。

 このときは新聞各紙で歴史家を巻き込みながら、「倭色是非」(日本風を批判した表現)が議論されている。金は自作について、神社に類似した様式だが、それは日本固有ではなく、百済から渡ったものと弁明したものの、神社は百済と関係なく、南方文化に起源があるという反論が寄せられた。また建築家の金重業が「日本式」に見えると指摘したのに対し、金壽根は「誰のものとも似ていない金壽根式だ」と主張している。日本的なものを排除することで、韓国の伝統論がたちあがるのだ。

○伝統と屋根

 そもそも伝統性の表現は屋根に集中する傾向をもつ。現代のビルはてっぺんが平らになり、均質的な風景だと、しばしば批判される。

 だが、屋根こそは、かつて地域の個性がもっともあらわれる建築の部位だった。雨や日射など、気候や環境の条件が直接的に反映されるからである。天理教や金光教など、新宗教の建築も、伝統性との連続性を表現する場合、屋根の造形がポイントになる。

左:代々木競技場屋根・部分[丹下健三]/右:金光教本部

 なるほど、日本の伝統建築の外観において屋根は大きな比重を占めるだろう。例えば、原田多加司は、「屋根は人間の身体にたとえるならば、人々の眼に一番に映る顔のようなものである」と述べている(『屋根の日本史』中央公論、2004年)。

 また、建築史家の太田博太郎は、こう指摘していた。「屋根の美しさは、シナ建築や、日本建築の特徴である。同じ木造でも、西洋の建築には、このような大きな、軒の出の深い屋根を用いることがなく、屋根の美しさを主とした建築はない」(『日本建築史序説』彰国社)。

吉田五十八に師事した建築家の今里隆は、「日本建築の美しさは屋根にある」と断言し、「日本人の原風景」だと述べ、形態や装飾など、バラエティの多さも「世界中を探しても日本建築以外には見当たらない」という(『屋根の日本建築』NHK出版,2014年)。


○丹下のモダンな屋根

 建築史家の近江栄は、丹下を「これまでの近代建築家の没国家的、没伝統的な国際主義ときわだった対比を示す」と位置づけている(『近代建築史概説』彰国社、1978年)。

 ただし、丹下はいつも屋根で伝統を表現していたわけではない。1950年代に手がけた自邸は屋根を積極的に見せず、広島平和記念資料館はフラットな陸屋根である。こうしたデザインは、桂離宮の屋根を外してモダニズム風に古建築を写真の構図におさめる手法と共通するものだ。

左:平和祈念資料館[丹下健三]/右:香川県庁舎[丹下健三]

 その後、香川県庁舎はフラットな屋根だが、軒下の垂木風のディテールが伝統性を表現する。すなわち、戦後民主主義の建築としてモダニズムを普及させていた時代は、屋根を過剰に表現しなかった。が、香川県庁舎がプロトタイプとして定着し、モダニズムが浸透した1960年代には、代々木の競技場や、8枚のHPシェルを組み合わせた東京カテドラルなど、大胆な屋根を通じてシンボリズムの空間造形を展開する。なお、東京計画1960における海上の集合住宅でも、吊り構造ではないが、湾曲した屋根を用いていた。

 丹下は、もうひとつの国家的なイベントである大阪万博では、全体の会場デザインとお祭り広場を手がけ、後者を覆う大屋根を設計した。しかし、これは伝統性を表現するものではない。

大阪万博・お祭り広場模型

 新しい構造技術を用いたスペースフレームの大屋根は、雨露をしのぐ、ただの屋根ではなく、その内部に人が居住できる空間を抱えた空中都市のひながたとして構想された。いわば近代の彼方にもたらされる、楽観的な未来の生活を提示した啓蒙主義の権化である。

 丹下は、空や雲が透けてみえるような透明感のある軽い皮膜にしたいと考えた。だが、これが人々の記憶に残ったのは、岡本太郎による太陽の塔が横から割り込んで、暴力的に介入したからだろう。岡本太郎は1967年に依頼されたとき、壮大な水平線の屋根をみて、これを打ち破りたい衝動がわき、108m×291.6mの優雅な大屋根にベラボーなものを対決させることをひらめいたという。高さ30mの屋根をつき破る、70mの塔である。


○土着の反逆

 屋根だけでもなく、塔だけでもない。万博という檜舞台において両者の激しいぶつかりあいが、忘れがたい風景を奇蹟的に生みだした。合理主義の大屋根に対して、おどろおどろしい土着のものが頭をもたげたかのような太陽の塔。岡本が唱えた対極主義の具現化である。

 だが、万博の終了後、大屋根は解体され、スペースフレームの一部を地上に降ろして保存された。太陽の塔だけが現在も残るが、対決した相手がいない。もはや一体何に対して批判していたのかが不明だ。近代という大きな物語に一撃を与えたはずの縄文的なもの。あるいは、万博の中心に埋め込まれた反博。しかし、その基盤が消失し、批判の構図がなし崩しになってしまう。まさしく「悪い場所」(椹木野衣)としての日本である。

大阪万博・お祭り広場

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日本建築論

五十嵐太郎

明治以降、とりわけ20世紀の日本建築論の底流には、「日本という国への意識」というものが逃れようもなく響いています。そうした中から、実際に形をとって立ち上がってくるのが、日本の近代建築であり、それによって覆い尽くされているのが日本の都市...もっと読む

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okuno_ao https://t.co/KhJAxWRZTH https://t.co/lHKycpOgCj 3年以上前 replyretweetfavorite

usabon 近代への一撃——第2章 万国博覧会における<日本館らしさ>(1)by cakes https://t.co/RsLUk26RsH 屋根による建築表現に着目. 約5年前 replyretweetfavorite

etcetra 近代への一撃――第2章 万国博覧会における<日本館らしさ>(1)| 約5年前 replyretweetfavorite