猪瀬直樹【後編】病気の発覚、突然の余命宣告

45年ともに過ごした妻・ゆり子さんを描いた猪瀬直樹さんの新作『さようならと言ってなかった』は、ノンフィクション作家としての猪瀬さんが初めて描いたご自身のお話。都知事としてオリンピック招致が大詰めを迎えていた最中宣告された妻の病に、猪瀬さんはなにを思ったのでしょうか。

担当編集者の太鼓判!

辞任後、(本人いわく)蟄居していた猪瀬さん。復帰にあたり、まず書いておきたかったのは、奥様のゆり子さんのことでした。でもそれはエッセイでも私小説でもなく、きちんと事実に基づいたノンフィクション。多くの人が気になっていた辞任の理由や、五輪招致成功の経緯も、この本で明らかになりましたが、やはりこれは、一種の青春小説だと思います。昭和と今と、恋愛と結婚と、政治と五輪と。どんな側面からも満足できる濃い作品です。

(マガジンハウス 広瀬桂子)

スーツのしつけ糸で妻の不在を気付かされた

— 都政の仕事についてからも、奥さんのゆり子さんを連れだっての出張や遠征は多かったんですか?

猪瀬直樹(以下、猪瀬) 例えば、都知事になってからのオリンピック招致活動は、まさに本当のチーム戦になっていくのです。外国では、レセプションにはカップルで参加する文化もありますから。2013年3月にオリンピックの評価委員会が来日した際のPRで、車いすテニス金メダリストの国枝慎吾選手と僕がテニスをする機会があったんだけど、その時もゆり子はラケットを持ってプレーしていました。その後の4月にはニューヨーク出張にも一緒に行った。それで5月にロシアのサンクトペテルブルクで行われたスポーツアコード国際会議、大きな五輪招致のプレゼンテーションをすることになるのですが、そこにも当然、一緒に来てもらう予定で荷物の整理まで一緒にやっていました。

— その直前に病状に気づかれたわけですね。

猪瀬 まさに本の冒頭だけど、その一週間前に、飼っていた犬の調子がおかしくなったの。どうしたんだろうねって。そうしたら、同じ週に妻の言葉ももつれるようになって、検査してもらったんです。そこでいきなり余命数ヶ月という宣告を受けた。なにもかも突然だった。

— 都知事としての重い責任を負った一番重要な時期ですし、五輪招致活動の中で海外渡航の予定もずらせないわけですよね。一緒に行くつもりだったロシアへは、奥様を病院に残してひとりで行くしかなかった。

猪瀬 ロシアでのプレゼンテーションは、イスタンブール、東京、マドリードの順番でした。僕は新調したスーツで挑んだのですが、まさにイスタンブールがプレゼンをやっているときに、次が出番だからと気合を入れてスーツのボタンをかけ直したら、スーツのサイドのしつけ糸がついているのに気づいたんです。その瞬間に、ゆり子の不在ってものに改めて気づかされた。彼女がいたら、ホテルのクローゼットにスーツをしまう際に気がついて取っていてくれたはずなんだよ。僕は気づかなかった。

— ずっと学校の先生をやっていたゆり子さんですが、猪瀬さんが政治の道に入った頃には、もう引退されていたんですか?

猪瀬 やめたのは、彼女が55歳のころ。もう十分だっていうのはあったね。子ども相手で、体力がすごく必要だったというのもあった。僕が、道路公団民営化の仕事が忙しくなったので、一緒にいる時間を作りたいっていうこともあった。ちょうど子供が独立した時期で、一緒に東京に出てきた頃に戻ったような感じもあったな。

— それからはより一緒にいる時間が増えたわけですね。ゆり子さんはずっと同じ夢を見て走ってきた相手という話ですが、当然ケンカすることもあったわけですよね?

猪瀬 あんまりケンカはしなかったね。

— 猪瀬さん自身はイライラしやすくて怒鳴ったりすることがあるって書かれてましたが……。

猪瀬 いや、でもそんなにないよ。イライラすることはあるけど、別にそれだけのことですよ(笑)。

— ごく普通の夫婦だったと(笑)。では話を変えます。猪瀬さんがどのように作家になったかが、本書では書かれています。

猪瀬 雑文書きじゃなくて、作品を書かなきゃいけないって。それは漠然と思っていたの。

— ちなみに、それまでは雑文書きだった時代は、主にどういうものが多かったですか?

猪瀬 まあ、あんまり意味ないよ、それは。

— 猪瀬さんが本の中で、自分の過去をつぶさに書くことって珍しいわけですし、ぜひお聞きしておきたいところなんですが……。

猪瀬 うーん、自分の思考を深めていく過程だよね。自分の作品を書く前の仕事は、自分の思っていることをいかに文章に染みこませるかという訓練になった。だけど雑文を離れて作品を書くためには、日々の稼ぎになる仕事を減らさなきゃいけない。調査や取材のための時間が足りないですから。それで国民金融公庫にお金借りに行ったんですよ。

— その話、ちょっとびっくりしました。いわばフリーの人間にも貸してくれるんですね。

猪瀬 いや、1時間くらい粘ってやっと貸してもらった(笑)。それは、ある意味自分に対する決意だね。とにかく作品としての形をつくらなきゃいけない。それが『天皇の影法師』(1983年)と『昭和16年夏の敗戦』(1983年)になったんです。

近代日本を考えることがプレゼンテーションの成功に繋がった

— デビュー1作目と2作目ですよね。この辺りの顛末は、本書に詳しく書かれています。初期の作品には、その後の作品につながる源流がありますよね。

猪瀬 『日本凡人伝』(1983年)っていうのもそれと同じ流れなんだよね。その3つの中にだいたい原型が出来上がっていて、それが『ミカドの肖像』(1986年)になっていくという。

— 『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、これが出世作となりました。多くの人はこれで猪瀬さんを知ったと思います。今の視点から振り返ると、左翼的な思想を持った文化人が多かった時代に、当時あまり人気のなかったナショナリズムの問題を扱っていたという側面もおもしろいです。

猪瀬 天皇っていうのはこの国の最大の記号なんです。日本って何だろうっていう謎を解き明かす重要なキーワードだった。それを左翼だ右翼だっていう尺度で語るのは意味がないと思ったんだ。

— 興味深いのは、旧宮家の土地を活用した西武グループを取り上げた『ミカドの肖像』にしても、その続編で東急グループと土地の問題を取り上げた『土地の神話』(1988年)にせよ、それらが交通インフラを踏まえた東京論であるという部分です。猪瀬さんは、道路の問題を通して政治にコミット(2002年より道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任)したわけですし、都政においてもメトロと都営地下鉄の一元化問題や深夜バスの運行など、交通インフラに関わってきたのは偶然ではないですよね。

猪瀬 東京に限らず、日本という国の成り立ちや、近代とはなにかを考えるときに、例えば「通勤」というライフスタイルがどうやって始まったのかを僕は調べる。私鉄が伸びていくことが、個々のライフスタイルを作っていき、それを受けて私鉄自身が企業としてもビジネスモデルをつくっていく。都心にデパートを作り、終点にレジャーランドを作る、そして線路の周辺が住宅街という不動産販売事業になると。そういう形で今の東京が形成されていき、通勤というライフスタイルが生まれていった。こうやって突き詰めて『ミカドの肖像』と『土地の神話』で書いているわけです。

— 今の東京人の日常生活が、どのように生まれたのか遡るわけですね。

猪瀬 『日本凡人伝』の中に「スジ屋」という職業の人が出てくる。いわゆる鉄道のダイヤを組む人たちのことです。彼らのプロフェッショナルな技によって世界一正確な時間で動く鉄道が実現したことは、近代日本が作られる上でとても重要だった。そういう視点が大事なんです。
『ミカドの肖像』でいえば、世界史の中で日本というものを考えた作品でもある。実はこの視点も、オリンピックのプレゼンテーションにつながっているんです。いろいろな角度から日本とはなにかを突き詰めることは、日本のいいところ、東京のいいところをどうやって説明するかにも応用できる。具体的に例を挙げれば「日本では財布を落としても返ってくる」とか、「電車が時間どおり動いてる」とか、「タクシーの運転手さんが親切」とか、そういうアピールがとてもウケた。これらは逆に言えば、意思決定が下手で優柔不断な日本人でもある。でもそれは両義性であって裏表なんだよね。セットで考えなくてはならない。

— 作家、またはジャーナリストとしての猪瀬さんと都知事だった政治家の猪瀬さん。一見、別々のものに見えますけど、実はつながっているようにも見えますね。

猪瀬 僕は、ずっと一貫して作家として活動しているつもりなんですね。

なぜ高速道路のサービスエリアに活気が出てきたのか

— 作家としての猪瀬さんの仕事は、文芸評論的な作品や行政や官僚を批判する作品も書かれていますが、題材としても随分と違うようにも見えますね。

猪瀬 僕は1995年に『ペルソナ―三島由紀夫伝』という三島論を書いて、翌年に道路公団などの特殊法人の在り方を分析した『日本国の研究』という本を書いています。一見、文学と官僚という違いはあるように見えるけど、三島を研究することって、官僚機構を考える上でもとても重要なのです。

— そうか、三島由紀夫は元々官僚でした。

猪瀬 そう、三島由紀夫は東大を出たあとに大蔵省に入ったんですよ。実家の平岡家はお父さんも、おじいさんもみんな官僚という一家。

— そうやって繋がるんですね。

猪瀬 官僚機構を考える上で近代史がとても重要なんです。当時の僕の見立てだと、国土交通省と道路公団の関係というのは、戦前の帝国陸軍と満州で膨張していた関東軍の関係と同じだと思っていた。当時僕はインタビューでも「道路公団は関東軍です」って言っていたくらい。関東軍が統帥権を持っていたはずの天皇を無視して、独断で満洲事変やさらにその外側まで侵攻してしまったという歴史認識があったから、官僚機構も中に制御できなくなったものが生まれるものなんだと思った。だから民営化するべきだと書いたんです。民営化される前のサービスエリアやパーキングエリアって、ファミリー企業で埋められていたから、まずいラーメンとまずいカレーしかなかったでしょ?

— いまは様変わりしてますね。スターバックスが入ったり、地元のちゃんとおいしい名物料理が入ったりしています。人気のあるサービスエリアは、観光地のように混み合ってますね。

猪瀬 今はワイドショーなんかで話題のサービスエリアを取り上げるけど、僕がやったなんて誰も知らないよね(笑)。

— そこはちゃんと功績として認めるべきですよね。今日は本の話を中心に、いろいろお話を聞かせていいただきありがとうございました。この本には、猪瀬さんの作家になるまでの話、ゆり子さんとの上京話など、これまでの猪瀬作品にはなかったような要素が詰まっていました。ある意味、青春小説と呼ばれてもおかしくない内容でもあります。

猪瀬 実際、夫婦の恋愛の部分に興味を持って読んでくれたという反響も多かったです。作家であったり政治家であったりする自分というのものをいったんカッコに入れて、素直に読んでもらえたらありがたいなと思っています。

— 実際、恋愛の部分、とてもおもしろいですよね。

猪瀬 ゆり子という、根拠の無い自信を貫いちゃった人がいたってことなんです。それを書いたつもり。僕だって根拠なく作家になれると思ってた。いま言ってもらったように、青春小説として読んでもらえるのはいいんじゃないかなと思います。


(おわり)

猪瀬直樹(いのせ・なおき)

1946年長野県生まれ。87年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞。2002年6月末、小泉純一郎首相より道路公団民営化委員に任命される。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。2007年6月、東京都副知事に任命される。2012年に東京都知事に就任、2013年12月、辞任。主著に、『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『道路の権力』『道路の決着』(文春文庫)、『昭和16年夏の敗戦』『天皇の影法師』(中公文庫)、『猪瀬直樹著作集 日本の近代』(全十二巻、小学館)がある。

構成:速水健朗 撮影:若原瑞晶


さようならと言ってなかった わが愛 わが罪
『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』

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hirarisa_ |書いた人に聞いてみた。 https://t.co/9Vxhwevk9h 4年弱前 replyretweetfavorite

Gota_NonaReeves 猪瀬氏著作好きです! 4年弱前 replyretweetfavorite

3rd_hole 新刊、じっくりと読みたい 4年弱前 replyretweetfavorite

ieiriWatch 猪瀬直樹【前編】猪瀬直樹が初めて書いた「セカチュー」?|書いた人に聞いてみた。 https://t.co/SphIEm3ivK https://t.co/3OkeBN3OJi 4年弱前 replyretweetfavorite