これまでの「農業で食っていく」方法が通用しなくなった
前回、福島のコメの生産高が「2010年が4位、2011年が7位」になった背景には、2つの理由があると言いました。一つが、ここまで述べてきた「放射性物質による汚染が強くてコメの作付をできない」というパターンです。
そして、もう一つ、「これを機に、農業引退」というパターンもある。これについても触れましょう。
「これを機に、農業引退」とは、そのままですが、「震災と原発事故が起こったから農業やーめた」ということです。これは結構わかりやすい話ですし、しかし、根深い話です。
どう「わかりやすい話」かというと、これは「日本の農業がどこでも抱えている問題の表面化」なんですね。
日本の農業、近年のニュースではTPPや農協改革の話題が出てくることもあり、詳しい方もそうではない方もいるでしょう。なんでこんなふうに農業の話題が出ているのか。詳しいわけではない方向けにあえて表面的な説明をしますけど、「農業やっていても食えない」世の中になっているからこういう議論になっています。
かつては、日本は農業を中心に一次産業で成り立つ国であった。もう半世紀以上前の話になってしまいますが、産業別就業者構成割合でいうと、農林漁業従事者が半分を占めていた時代がありました。戦後復興期である1950年前後の頃です。
ところが、そこから一貫してその割合は減り、この20年ほどは1割未満を推移しています。
なぜか。一番の理由は、農業をやっていても収入が確保されないからです。
日本の農業はより多くの人が農地を持てるように、狭い土地を細かく所有している状況がある。それに対して、近年、米国やオーストラリア、中国など、日本と結びつきの強い国から安くて品質のいい作物が大量に入ってきています。それらの国は広大な土地で効率的に作物を生産し、それをグローバルに流通させる競争力を持っている。さらに、近年、途上国・新興国の中からも同様の力を持つ国も増えてきています。
これまでは政府が、関税かけるなど色々規制をしたり、金銭面はじめ生産者をサポートする制度を作ったりしてきました。やはり食糧管理は国を成立させる上で欠かせない要素です。エネルギーもそうですが、それが不安定になると人の命に直接関わります。農作物については、その生産をかなり国が介入して支えてきた実情があります。
国があらゆるものに介入していく力は、ここ数十年で一気に弱まっています。考えてみれば、つい最近まで、日本は何でも国で価格を決めて、生産や流通に規制かけまくっていました。
例えば、コメ、電車、郵便や電話などの料金の決定は全て、国の権限だったわけです。電気料金も、民間企業が決定しているものですが、国との関係は強いといえたものが、いま自由化されようとしています。
このようなあらゆる側面での自由化の中で、これまでの「農業で食っていく」方法が通用しなくなってきている。例えば、「農家の収入を確保できるように作物の値段を高めに設定する」「国内の農作物が市場競争で負けないように海外産作物に関税をかける」という、農家が農業を続けていくだけの収入を確保する策が無効になってきています。
「潜在的な農業引退者」が3.11後に顕在化した
で、こういうことは日本全体の農業の問題として、3・11前から存在していました。福島だろうと、他の被災地だろうと、それ以外だろうとあったわけです。
農家の中には、前回書いたように「農業は生活と密着しているから儲からなくてもやめない」と言う人がいる一方で、「なかなか続けるのがきついな、いつやめるかな」と思っている人も多くいます。
農家をまわっていると、こういう話を聞きます。
「子どもは町に働きに出ていて疲れているのに、ゴールデンウィーク全部潰して田植え手伝えと言うのも申し訳ない。自分が体が動くうちだけだ。自分が動けなくなったら小作に出す(=人に貸して、利用料やできた作物の一部を譲ってもらうなどする)」
「トラクターの30年ローンが残っているから、それが終わるまでは続けるかな。終わったら自分たちが食べる分だけ趣味程度にやれればいい」
彼らの多くが60代・70代で、跡継ぎがいません。集落全体を見渡しても、「若手」と呼ばれている人が40代後半とか50代だったりということが多くあります。
やはり、先に述べたようなここ20年ほどの変化の中、いくら農業を続ける気持ちがあっても、無理に後継者をたてるよりは自分の代で引退としたほうがいいと考える人も増えてきた状況がありました。
そのような「潜在的な農業引退者」が震災前からいた。そして、震災と原発事故の中で「農業やーめた」となった人が出てきました。
この「3・11による『潜在的な農業引退者』の顕在化」とでもいうべき事態について、具体的な数値として、どれだけいる、と示すのは簡単ではありません。「3・11があろうとなかろうと、遅かれ早かれ農業をやめていた」という人も相当な数いるだろうからです。
一応、大きな傾向を示す数字としてわかりやすいものとしては、例えば、南相馬市で2011年6月に行われた「市民意向調査」の結果があります。
「『今後の農地』について」という問いに対して、津波被害地域では44%が「農地としては使用しないため手放したい」と答えています。
一方、非津波被害地域ではその数値は13%に過ぎません。
津波被害にあっても、塩分を土から抜いて農業を再開すること自体はできますし、実際にそうやって農業再開している人も多くいます。しかし、実際に被災してみると、「もう再開はしないでいいかな」という思いに至る人がやはり明確に増えます。
もちろん、農業再開のための土地の整備や機材の調達をする資金がないなど、物理的に再開できない人もいるのでしょうが、それを踏まえても津波被害の中、ただでさえ厳しい農業を続ける気持ちが無くなってしまう人が、この数字に現れています。
もう一つ注目すべきは、非津波被害地域の中で、他の地域が10%程度なのに対して、小高区のみ「農地としては使用しないため手放したい」が20%と、他の地域より1割増えています。これは、「津波被害によって心が折れた」人に加えて、「原発事故によって心が折れた」人の割合だと言えるでしょう。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。