ここは上野、東京芸術大学にあるホールの中。
薄暗い舞台の上で、ふたりの女性が向かい合って椅子に座っています。
片方が静かに語り始めるとそこに照明があたる——。
ぼくもう、いかなきゃなんない
すぐ、いかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
……
谷川俊太郎の詩「さよなら」の朗読がおわると、もう片方の女性が口を開きました。
「何か他の詩を読んで」
そう言われた女性は、次にランボーの「酩酊船」を読み始めます。
どうやら右の女性が主人で、左に座る黒い服を着たロングヘアの女性は「詩を読むロボット」という設定のようです。
二〇〇席ほどの席を満たした観客達はそのとき不思議な気分になっていたはずです。
なぜなら、この舞台にいる二人の役者の片方は「本物のロボット」だったからです。
上品そうに膝の上に置いた手、瞬きを繰り返す透き通った黒い目、整った顔——彼女がロボットだということは、言われないと気付かないかも知れません。
これまで映画やマンガやアニメの世界ならロボットは珍しくありませんでした。しかし、演劇の世界ではさすがに初めてでしょう。
これは、演出家の平田オリザさんによる「ロボット演劇」です。
ロボット演劇「さようなら」公式サイトより
ロボット演劇が始まったのは、2008年。平田オリザさんが演出し、チェーホフの「三人姉妹」をもとにした「アンドロイド版 三人姉妹」が上演され、アンドロイドの「ジェミノイドF」が役者とともに舞台に立ちました。この様子は「選挙」「精神」などのドキュメンタリー映画で知られる想田和弘さんの「演劇」で取り上げられています。
平田オリザさんは舞台役者に対してすごく細かい指示をだします。感情ではなく、どの台詞を何秒、どういう身体の状態で言うか、そういうプログラミングめいた指示です。つまり、ロボットに対する演出と人間に対する演出が全く同じなのです。「10センチ前に」「1秒間を取って」という演出をロボットでやると、そのままプログラムを書くだけになります。
はたしてそんなものに人は感動するのか?
結論から言うと「YES」です。
果たして、これは一体なにを意味しているのでしょうか。
そして、この演劇に使われたアンドロイド(人型ロボット)「ジェミノイドF」をつくった人こそが、大阪大学教授(特別教授)である石黒浩さん。日本のアンドロイド研究の第一人者です。
自分そっくりにつくった「ジェミノイド」といっしょに表紙にうつる石黒先生。
常に上から下まで黒づくめのファッションはマンガに出てくるマッドサイエンティストそのもの。
3Dプリンタの取材で訪れたケイズデザインラボで石黒先生の講演を聞き、さらに演劇も鑑賞して、すっかり夢中になったぼくは、その後も博士をおいかけ続けてなんとか取材のアポイントを取り付けました。
当日、お忙しい中、市ヶ谷近くの会議室に現れた石黒先生はいつも通り黒づくめで、まるでアンドロイドのようでした。
人間こそが最強のインターフェースである
—— 今日はよろしくお願いしいたします。先日の講演会、そしてロボット演劇、とても楽しく拝見しました。それと、お台場の「科学未来館」で発表されたアンドロイド(※1)も、まるで人間のように受け答えが自然で、すごかったです。アンドロイドもここまできたか……と。
※1 お台場の科学未来館に導入された「オトナロイド」と「コドモロイド」のこと。遠隔操作型で、ニュースを読み上げるほか、来館者がアンドロイドの体をまさに自分の体のように操作することもできる。
—— 素朴な疑問なんですけど、そもそもどうしてぼくらは人間型ロボットに興味を持ってしまうんでしょうか?
石黒 まず大事なことは、人は人を認識する機能を持っている、ということです。というよりも人の形をしたもののほうが認識しやすい。現在のスマホや携帯は、人間にとって理想的なインターフェースじゃなくて、最も理想的なインターフェースは、人そのものなんです。だから、技術が進めば世の中のいろんなものが人間らしくなっていく。そして、人間らしくなっていったときに、その究極としてあるのが、アンドロイドだと思います。
「最も理想的なインターフェースは人そのもの」この発言に、疑問を覚える人も多いのではないでしょうか。なぜなら現在、ぼくらの生活に入り込んでいる工業用ロボットや携帯電話は、実際には人のカタチをしていません。
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