猪瀬直樹【前編】猪瀬直樹が初めて書いた「セカチュー」?

作家・猪瀬直樹さん。1983年に『天皇の影法師』でデビューし、新しいノンフィクションの書き手として活躍し、『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど高く評価されてきました。その後、小泉純一郎内閣での道路公団民営化推進委員会、石原慎太郎都政での副都知事などを経て、2012年に東京都知事に。今回猪瀬さんが書いたのは、都知事としてオリンピックの東京招致活動をしていた中亡くした、妻・ゆり子さんのこと。作家として「他者」を観察し続けてきた猪瀬さんが初めて書いたご自身の話、初めての「ラブ・ストーリー」です。


『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』猪瀬直樹

あらすじ:2012年12月、史上最高の得票率で都知事になった著者は、五輪招致が最優先の仕事と決意する。さっそく、1月にロンドン、4月にニューヨークと、妻と共に招致活動開始。しかし、3回目の招致活動のロシア行きの前日、少々不調のあった妻を病院で診てもらったところ、余命数ヶ月と告げられる……。

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 プレゼンテーションは四十分くらいである。イスタンブールチームがあと五分ぐらいで終わるなと思ったころ、よし出番だ、と僕は会場席でネクタイを締め直し、スーツのボタンをかけた。ところがボタンを閉めるときつい。ふと脇から腰にかけて見やると、サイドベンツのスーツの両端にしつけ糸が付いているのだ。そうだ、新着のスーツだ、しまった。あわてて隣席の永井さんに糸を引っ張ってもらった。トルコ語のスピーチで安心したところで、しつけ糸で気が動転した。





 ゆり子の不在、とはこういうことなのだ。出発するときの、病院のベッドでの静かな寝顔が脳裏をよぎった。

—『さようならと言ってなかった』39ページより

先が見える未来を一旦消してみたかった

— 新刊『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』を読ませていただきました。猪瀬さんの読者からすると、今までにない感触の本ではないかと思いました。

猪瀬直樹(以下、猪瀬) ありがとう。そうかもしれないね。

— この本には、猪瀬さんが妻であるゆり子さんと出会い二人三脚でやってきた45年が書かれています。さらには、そのゆり子さんが、オリンピック招致活動が佳境を迎えていた時に余命数ヶ月と診断され、急速に病状が悪化していった2013年の出来事。その2つの物語が、交互に編まれていくわけですが……。

猪瀬 これさ自分で読み返してみて思ったけど、 “セカチュー”みたいなところがあるよね。

— セカチュー……えーと、ベストセラーになった恋愛小説の『世界の中心で、愛をさけぶ』ですか?

猪瀬 招致活動だけではなくて、作家としての活動も妻と一緒に同じ方向を向いて一緒にやってきたんだよ。妻と会って、一緒に世界をつくっていくみたいな想いがあった。

— たしかにそうですね(笑)。まず、ゆり子さんとの最初の出会いは信州大学在学時代のキャンパスだったそうですが。

猪瀬 学生運動がそろそろ決着して、若者たちも新しい世代が社会に出ていくのがあたりまえという風潮になりかかっていた頃。日本は高度経済成長時代だった。当時の同年代の若者は、大学を出ると就職をして、20代後半で家庭を持って、30歳くらいでマンションのローン組んで、定年までずっと安定した生活を送るという未来になんの疑問も持たなかった。

— いわゆる団塊世代ですね。バブル崩壊後に世に出た我々の世代から見ると、日本の一番いい時代に見えます。

猪瀬 当時、ゼブラが新しいボールペン(1966年「ゼブラ・クリスタル」)を発売したんだけど、ペンが透明になっていて芯の減り具合が見えるわけね。コマーシャルがよく流れていて、「みえるみえる」というキャッチコピーだった。これが象徴的で、将来も楽に暮らせることが見えてしまっている人生、逆に言えば、何も起こらない人生なんですよ。そんな人生を始めてもしょうがないという想いがあったから、一回未来を消してみようと思ったんです。

支えあうのではなく、同じ方向を向いた「チーム猪瀬」

— それで大学卒業後に上京してきたわけですね。

猪瀬 1970年の3月です。周囲の仲間はみんな新聞社だ電機メーカーだって、いいところに就職を決めていたんだよね。でも僕だけ先が見える人生を拒否して、なんの当てもないのに東京に来てしまった。

— ゆり子さんも一緒に上京されたそうですが、かなりのお嬢さまだったとか。

猪瀬 もちろん彼女の親は反対だった。だから、夜汽車に乗るのです。彼女は寝室の布団を膨らましてまだ寝ているかのように偽装して、裏の木戸からトランク一個で駅まで走っていくっていう。昔は夜行列車だったから、夜乗って朝に東京に着く。あの歌詞のとおりなんだよね、『俺は待ってるぜ』。

— 石原裕次郎の映画の主題歌。「海を渡って それきり逢えぬ 昔馴染みの こころと心」(作詞:石崎正美)ですか。それにしても、無職の将来がよく見えない男に、よく付いてきましたね。

猪瀬 お嬢様だから逆に天真爛漫だったんだよ。生活感覚がある子だったら、とてもそういうことはできなかったでしょう。

— ゆり子さんって、物怖じしない人だったという話をよくされてますね。

猪瀬 彼女は一緒に夢を見るという覚悟をしてくれんだと思います。僕という人間と生きて、一緒に地図のない世界に入ってこうと。まあ、別の言い方をすれば、僕がかどわかしたって言うことなんだろうけど(笑)。

— むしろ、そうとしか思えませんよ(笑)。しかし、ふたりで一緒に「先が見えない未来」を選択したということですね。本の中でも三島由紀夫の同様の言葉を引用されていますが、まさに1970年は、三島由紀夫の自決事件の年でした。

猪瀬 日本はやがて「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」(『果たし得ていない約束―私の中の二十五年』)という三島が抱いた空虚さは、まさに「みえるみえる」のボールペンと一緒で、「何も起こらない人生」みたいなものへの苛立ちでもあったんですね。それと同じような感覚が自分の人生にも重なって見えて、妻とふたりで何か新しい世界をつくっていこうと思った。それで「神田川」の歌じゃないけど、風呂もないアパートで生活を始めて。

— 仕事も決まってない状態からのスタートですよね。

猪瀬 当時は、自分は何をすべきなのか?っていうことばかりが頭のなかにあった。実際、何ができたわけでもなかったんだけど、一方で妻と一緒に夢を見られるから何をしていても楽しいという思いもあった。ただ、漠然と作家になるという思いだけはずっと抱いていたんです。

— でもすぐに作家にはなれなかったと。

猪瀬 私鉄沿線のアパートに4年くらい居たのですが、子どもができて3DKの団地に引っ越した。家内は学校の先生の仕事をしながら子育てをしていました。当時、家内が団地から保育園まで子どもの送り迎えをしていて、その保育園で先生としていた交換ノートが段ボールひと箱にぎっしり入って残っていたの。このノートの中から、当時の僕たちの生活や僕との関係がよく見えてきた。それがあったからこの本を書けたところもあります。

— その時代は、猪瀬さんはまだ駆け出しの雑文書きだった時代ですよね。ゆり子さんは教師の仕事をしながら子育てをして、猪瀬さんを支えていた。やっていることは別々でも、互いに支え合っていたと。

猪瀬 いや、そうじゃないんです。最初から「チーム猪瀬」で、同じ方向を見ていた。僕が漠然と作家になろう、本を書くんだと考えていた時期からずっとチーム戦だったの。

— なるほど。確かにゆり子さんご自身の仕事の話も一章を割いて書かれていますね。自閉症の子どもたちを教えてらっしゃったとか。

猪瀬 その章は、大事な部分だから、かなりしっかり書きました。彼女がどんな仕事をしてきたのかを記しておくことは重要だったから。編集者に引用が長いのでは、と言われましたが、そこはきちんと説明して。

— 働く女性としてのゆり子さんに共感した読者からの反響も少なくなかったと、本を担当した編集者からも伺いました。

猪瀬 「ゆり子の物語」のパートでは、自閉症の子たちと辛抱強くコミュニケーションをするという彼女の仕事の意義について書いたんだけど、そこは僕と彼女との結びつきとも関係しているんだと思うのです。取材以外は外に出ないで資料ばっかり読んでずっと文章を書いている僕みたいな作家と、彼女が見ていた自閉症の子たちってなにが違うんだろうと。

— 作家時代にチームとして一緒に仕事をするって、具体的にどういう感じだったんですか?

猪瀬 例えば、作家としてデビューすると講演なんか地方で行く機会も増えるでしょう。そういう時も必ず一緒に行くんですよ。講演をやったあとにサイン会をやるんだけど、会場の隅っこで地元の書店さんがワゴンを置いて僕の本売ったりする。そういう時にゆり子が「こっちで売りましょう」って人がたくさん通るところに誘導したりなんてことはよくあった。そういう細かいところまで気を利かせてくれていました。


次回、「病気の発覚、突然の余命宣告」は1/7(水)更新予定。

猪瀬直樹(いのせ・なおき)

1946年長野県生まれ。87年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞。2002年6月末、小泉純一郎首相より道路公団民営化委員に任命される。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。2007年6月、東京都副知事に任命される。2012年に東京都知事に就任、2013年12月、辞任。主著に、『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『道路の権力』『道路の決着』(文春文庫)、『昭和16年夏の敗戦』『天皇の影法師』(中公文庫)、『猪瀬直樹著作集 日本の近代』(全十二巻、小学館)がある。

構成:速水健朗 撮影:若原瑞晶


さようならと言ってなかった わが愛 わが罪
『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』

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