企業はアドラーになにを求める?
—— 『嫌われる勇気』が世に出てからの1年間、講演会や取材の機会も多かったと思うのですが、特に印象的な変化などはありましたか?
岸見 この本の刊行前と後では、企業からの講演依頼が急増したことが、最大の変化だと思います。
古賀 いま企業の方々はアドラー心理学になにを求めているのでしょう?
岸見 やはり対人関係ですね。たとえば「若い社員との接し方がわからない」「最近の若手は、少し怒るとすぐに会社を休むようになる」「かといって、甘い顔をしていると図に乗ってくる」といった相談はよく受けます。
古賀 どちらかというと管理職の方が困っている感じなのでしょうか。
岸見 管理職も若手社員も、対人関係に悩んでいるという意味では同じでしょう。アドラー心理学の特徴のひとつとして「話す相手を区別しない」という側面があります。これは管理職向けの話、こっちは新入社員向けの話、あれは経営者向けの話、といった区別がなにもないのです。誰に対しても、同じように同じことを話します。もちろん、事例などはその場に応じて使い分けますが。
古賀 よくある「リーダーのための人心掌握術」みたいなものは、アドラー心理学の対極にある考え方ですよね。
岸見 はい。アドラー心理学は、他者を変えるための心理学ではないし、ましてや他者を操作するための心理学ではない。変わることができるのは、自分だけです。
古賀 だからこそ、経営者にも新入社員にも同じ話をする。
岸見 これは、アドラーのいう「横の関係」ともつながる話です。
—— でも、こんな場合はどうでしょう。たとえば、直属の上司がものすごく理不尽で、すぐに怒鳴り散らすような人だったとします。いくら自分が変わったところで、上司の理不尽さは変わらないし、怒られ続ける毎日も変わらない。上司に変化してもらわないことには、悩みは尽きないのではないでしょうか?
岸見 そうした上司がいた場合、まずは上司が理不尽に怒る「目的」を考えましょう。怒るという行為ひとつをとっても、人はなにかの原因に突き動かされて怒るのではなく、なにかの目的を達成するために怒っている、と考えるのがアドラー心理学ですから。
古賀 原因論ではない、目的論ですね。
岸見 ええ。もちろんケース・バイ・ケースではありますが、たとえば部下を激しく叱責することによって自分の「力」を誇示したい、といった目的が見えてくるかもしれません。
—— なぜそんなことをする必要があるのでしょう?
岸見 ひとつ考えられるのは、「普通にしていたら部下から認められない。それどころか馬鹿にされる」という劣等感です。そして、劣等感を抱えているからこそ「自分には能力があるんだ」と実感したいと思っている。さらには、自分の能力を実感する手段として、他者からの承認を求めている。「あの人はすごい」と言ってもらいたいし、そう認めてもらいたい。認めてもらうためなら、役職という権威だって使うし、怒りという暴力的な手段だってためらわない。
古賀 激しく叱責することで、自分の「力」を見せつけ、屈服させようとしているわけですね。
岸見 人はカッとしたから怒るのではありません。この場合でいうと「怒りの力で相手を屈服させる」という目的をかなえるため、カッと心に火を点けるのです。
あの上司が怒る「目的」を考える
—— でも、そこまで洞察できたとしても上司が怒鳴り散らすことに変わりはありませんよね。
岸見 そこでアドラー心理学では「課題の分離」という考え方を採ります。上司はただ自分の個人的な目的を達成するために怒っている。だとすれば、その怒りにどう折り合いをつけるかは上司の課題であって、自分の課題ではない。ましてや、怒りの圧力に屈してしまう必要などない。
古賀 逆にいうと、「わたし」の行為について他者がどのような評価を下すのかは、「わたし」にコントロールできるものではないし、気にする必要もないということですね。
岸見 ええ。理不尽に怒っている人を前にしたときに大切なのは、その人が怒る「目的」を考え、怒りをツールに自分を支配しようとしているのだと理解することです。その洞察さえできてしまえば、こちらが感情的になることもないし、受け流すこともできるでしょう。間違っても、売り言葉に買い言葉のようなかたちなってはいけません。相手はあなたに「権力争い」を挑み、屈服させようとしているのですから。
古賀 この「課題の分離」ができるようになるだけで、対人関係は大きく変わりますよね。実際、読者の方々からの反応も、「課題の分離」に関するものは非常に多かった印象があります。