「目からウロコ」だけではない思想
—— 『嫌われる勇気』の刊行から1年が経ちました。これまで、累計58万部に達するベストセラーとなっていますが、アドラーの思想がこれだけ受け入れられた要因はどこにあると考えられますか?
岸見 われわれにとっても予想外のヒットであり、トレンド分析のようなお話はできません。ただ、読者の方々から寄せられる感想は、大きくふたつのパターンに分かれています。
—— どのようなものでしょう?
岸見 ひとつは「こんな考え方があったなんて、まったく知らなかった」「常識を覆された」というもの。とにかく驚いた、衝撃だった、目からウロコが落ちた、といった反応です。
古賀 フロイト的な発想からすると、対極にあるような考え方ですからね。
岸見 もうひとつ、おもしろいのが「自分でも薄々感じていたことを、見事に言語化してくれた」「なんとなく思っていたことを、体系立てて説明してもらえた」といった反応です。知らないことばかりが書いてあったというわけではなく、「よくぞ言ってくれた」とか「ものすごく腑に落ちた」に近い感想ですね。
古賀 驚きと共感の両方があったということでしょうか。
岸見 ええ。「常識を覆される」だけでは、これだけ幅広い読者の方々に受け入れてもらえることはなかったと思います。心の奥底で思っていたことを言い当てられる快感、といえるかもしれません。
古賀 その反応はおもしろいですね。
岸見 アドラーの思想は、時代を100年先駆けたといわれています。20世紀初頭に活躍したアドラーが、21世紀の日本で受け入れられるようになった。これは非常に興味深いことです。
古賀 「すべての悩みは対人関係の悩みである」というアドラーの洞察は、SNSなどの隆盛で対人関係が雪だるま式に膨らんでいる現在にこそ、新鮮に響くのかもしれません。しかも、まったく未知の思想として響くのではなく、心のどこかで感じていたことをズバッと指摘してくれたというか。
岸見 その意味では、時代が少しずつアドラーの思想に追いつきはじめたのかもしれませんね。
—— 古賀さんのほうに寄せられる、意外な声などはありますか?
古賀 この本を刊行するとき、いちばん不安だったのは「哲人と青年の対話篇」という特殊な形式で書いたことでした。賛否両論あることはわかっていたし、否定的な意見のほうが多くなることを覚悟していたくらい、不安は大きかった。でも、思いのほか好意的な反応が多かったのはうれしい驚きでした。
岸見 プラトンの時代から、哲学はしばしば対話篇の形式を採用してきました。そしてわたしは、アドラーのことを心理学の範疇を超えた哲学者だと思っています。この対話篇形式が受け入れられたことも、むしろ自然のことだと思えます。
古賀 そうですね。アドラーの思想について、読者の方々が疑問に思うだろうことを、ぜんぶ「青年」が執拗に食い下がって質問攻めにする。一人称形式で書かれた本では、なかなかこういう流れにはできません。
岸見 これでもか、というくらい激しく食い下がりますから。
古賀 おかげで、取材などで記者の方から「てっきり作中の『青年』みたいな激しい方だと想像していました」といわれることが多いです(笑)。
岸見 普段の古賀さんは優しい方なのにね(笑)。
アドラー的な「横の関係」は実現可能か?
—— ちなみに、反発の声みたいなものは届きますか?
岸見 もちろんあります。特にアドラー心理学の「ほめてはいけない。叱ってもいけない」という話には反発が多いですね。
古賀 ほめるのでもなく、叱るのでもない、「勇気づけ」のアプローチですね。具体的に、どういう反発があるのでしょう?
岸見 中高年層の男性に多いのですが、「これまで自分は叱られて育ってきた。ときには叱ることも必要だ」といった声ですね。
古賀 叱るのは「愛のムチ」だと。
岸見 ええ。残念なのは、教育関係者の中にも叱ることの重要性を主張する方が多いことです。
古賀 アドラーは、「縦の関係」ではない、対等な「横の関係」を結ぶように説いていますよね。でも、実際の教育現場では叱りつけることも必要だ、という声がある。アドラーの思想はしょせん理想論で、育児や教育の現場ではなかなかそうもいかないんだ、というわけですね。
岸見 そう主張する教育関係者は、少なからずいます。とはいえ、叱ることの重要性を説く方々は、むしろほんとうの修羅場を経験したことがないのかもしれません。
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