UI(ユーザーインターフェイス)としてのギャラリー

フォトグラファー、ライターの大山顕さんが、UIの観点からギャラリーを捉えたエッセイです。デジカメ登場以降の写真を見る環境の変化から見えてくるものとは? スリリングな考察をご一読ください!


↑自慢の工場写真。画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます

さて、上の写真をクリックした方はどれぐらいいらっしゃるだろうか。

たぶん、ほとんどいないんじゃないかな。そうなのだ。人はネットでわざわざ大きな写真を見ようとは思わないものだ。エロい写真は別ね。

「いや、だって工場の写真なんか別に見たくないし」という方には返す言葉もない。えーと、じゃあこれが可愛らしいネコの写真だったらどうだろう。たぶんそれでもクリックしないんじゃないかな。いやするのかな。どうだろう。ここではとりあえずしない、ってことで読み進めてください。

ちなみに、クリックした先の写真は横2400ピクセルの解像度だが、オリジナル画像はなんと横20000ピクセル以上ある。画素数で言えば1億画素ほどだ。


↑オリジナル画像を100%表示したものの一部

ぼくはここで写真解像度自慢をしたいわけではない。言いたいのは、全体と細部を同時に見られないパソコンの画面は、まだまだ写真見るのに向いてない(スマホは言うに及ばず)し、写真をうまいこと見せるUI(ユーザーインターフェイス)ってまだ登場していない、という話だ。

デジカメが与えたインパクト

「パソコン画面まだまだ」と言いつつ、一方で、ぼくは10年前からせっせとホームページ(当時はブログ前夜でした)にアップしている人間だ。高じて『工場萌え』なんていう写真集も出したりして、まあ世間的には「写真家」ということになるのだろう。しかし、あくまでぼくは「写真はネットで発表するもの」だと思っている。その「複製性」によって他のメディアと一線を画す存在になった最初の時から、写真はネットの登場を心待ちにしていたのだ。「写真は流通したくてたまらない」((C)いしたにまさき)のだ。だから写真史における一番最近の決定的な出来事は、デジカメの登場だ。

写真はどんどんコピーされてどんどん見られるべきなのだとぼくは思う。ところが、アート写真界隈ではそうは思われていないようだ(ただし、現代美術での写真画像の考え方は別)。その典型が「プリント至上主義」だと思う。写真界に根強くある「やっぱり写真はプリントしてなんぼだよ」っていう文化のこと。

確かに液晶画面で見る「画像」ではなく、紙という「物」にプリントされた存在感のすばらしさってある。でも、どうもプリントって「流通したくてたまらない」写真に対する拘束具のように見えて仕方がないんですよ。もっと意地悪く言うと、希少価値を高めるための姑息な手段というふうにも感じられる。

これに関連して思うのは、写真作品の展示を行うギャラリーのホームページのこと。こうやって意地悪なことを言ってはいるけれども、なんだかんだでぼくは写真家というものを尊敬しておりまして、ギャラリーにもよく足を運びます。で、展覧会情報をネットで調べるんだけど、そこで掲載されているギャラリーの写真の「見せ惜しみ」がひどい。ほんとひどい。載っている写真は、すごーく小さいものが一点だけ、というケースがとても多い。あんまりに小っちゃいんで、サムネイルかと思ってクリックしても何も起こらない。

あのさ、写真見に来て欲しいんじゃないの? 「おっと、これ以上見たかったら会場に来い」ってことなの? いやもちろん分かりますよ、著作権とかね。大人の事情がね。なんせ「作品」だしね。でもさ、ネット上でコピーされてみんなに見られまくることで価値が下がるような写真だったら、プリントなんかしなくていいんじゃない?と思うのですよ。

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