10月の最初の火曜日。秋の日差しが並木の上で踊るように輝いていた。
僕は浜松町の約束のレストランの前で、詩織さんを待っていた。
(PM12:55 わたなべ) [レストランの前に着いたよ。]
(PM12:58 伊藤詩織) [いま、出るところ。]
白のブラウスを着た詩織さんが、手に財布を持って歩いてくるのが見えた。
「今日はいい天気ですね」
今日の午前中は仕事をする振りをしながら、永沢さんの講義を復習していたのだ。そして、僕はこのセリフを最初に言うと決めていた。
「そうだね。いい天気だね」
狙い通りに、詩織さんは、文頭のイエスが省略された肯定文で返してきた。イエスセットがひとつ積み上げられた。
「いい天気だね。気分がいいね」と僕が言う。
「そうだよね」と詩織さんが言う。
バックトラックを使って言葉のキャッチボールをしながら、イエスセットをさらに積み重ねる。
僕たちは店員に案内されて、カウンターの席でとなり同士で座った。ランチメニューをふたりで見た。
「わたしは、日替わりピザにしようかな」
「ここのピザは美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「へー、美味しいんだ。じゃあ、僕もピザにする」
僕たちはピザのランチをふたつ注文した。
詩織さんが、コップに入った水を飲む。僕も、いっしょにコップの水を飲む。ミラーリングをしてみた。
「会社はここから近いの?」
「うん、すぐそこだよ」と詩織さんが言う。
「すぐそこなんだ」と僕はバックトラックした。
「うん」詩織さんが答えた。「わたなべ君も、好きな時間に昼休みが取れるの?」
「そうだね。僕の仕事はひとりで完結してるものが多いから、大体は自由に昼休みが取れるね」
「わたなべ君は、弁理士の仕事してるんだっけ?」
「そうだよ。クライアントの発明を特許にして権利化していく仕事。詩織さんは何してるんだっけ?」
「わたしは、システム会社で事務してるよ」
「へー、どんな事務?」
「うちは、けっこう小さい会社だから何でもさせられてるよ。トラブル・シューティングとか、マニュアル作ったりとか、データ打ち込んだりとか……」
「へー、すごいね。でも、けっこう大変じゃない?」
「そうだよ。大変だよ。何でもやらされちゃって。昨日なんて、夕方の5時に、明日までにこのマニュアルを作っておかないといけない、なんて言われて、結局、終わったの夜の10時だよ。女の子に、そんなに夜遅くまで残業させる会社なんて本当に最悪だよね。もう、絶対に辞めてやろうと思っちゃった」
「大変だね~。夜遅くまでがんばったね~」
「大変なんだよ」
「でも、それは詩織さんが信頼されてるから、いろんな仕事を任されるんだよ」
「そうかな~」
「そうだよ。詩織さんは、がんばって仕事してるんだね。あっ、このピザすごく美味しいね」
「そうでしょ。ここのピザは美味しいんだよ」
「うん、ここのピザ、美味しいね」
「うん」
「そういえば、詩織さんは金沢出身だっけ?」
「そうだよ。わたなべ君は静岡だっけ?」
「そうだよ。金沢と静岡って似てると思わない?」
「どうして?」
永沢さんに教えてもらったように、僕はふたりの共通の体験を探そうとしていた。ちょっと無理やりだけど。
「両方とも観光地で、海があって、温泉があって。なんかすごく似てない?」
「そうだね。去年、友だちと熱海に行ったよ」
「熱海に行ったんだ」
思いがけず共通の体験が見つかって、僕は安堵した。熱海には何度か行ったことがある。静岡県は広いので僕の地元には近くはないが。
「うん。友だちと温泉に入って、金目鯛の煮付けとか美味しかったな。また、行きたいな」
「金目鯛も美味しいよね。静岡県民は金目鯛はしょっちゅう食べるんだよ」
「そうなんだ。金沢はね、ズワイガニが美味しいんだよ」
「美味しそう。僕も食べてみたいな」
「金沢だと、すごく安く売ってるんだよ」
「へえ。東京だと高級な食べ物だけどね」
「そうだよね」
「熱海の他は、伊豆はどこに行ったの?」
「熱海から、電車で下田まで行って、そこからバスで西伊豆まで行ったよ」
「西伊豆のほうは行ったことがないなあ。よかった?」
「うん。すごくよかったよ。西伊豆の漁師さんがやってる民宿に泊まったんだけど、新鮮なお魚をすごく安く食べれたの」
「へえ、行ってみたいな」
僕たちは、ピザを食べながら、地元のことや東京に出てきて驚いたことなんかを話した。ふたりの共通の体験がいくつも見つかって、ぐっと親密さが増してきたように思った。ランチの時間はあっという間に過ぎて行った。