映画『アメリ』にみる「構成原理への志向」
森有正はフランス人にとっての母語としてのフランス語の意味合いも深く理解するようになる。フランス人の考え方を森は本書収録の「霧の朝」では「発想機構」と呼び、フランス語との関連でこう説明する。
発想機構の整備はフランス語の授業で集約的に代表される。これは小学校入学から中等教育の終了、すなわちバカロレアの試験まで、全教科の中心的位置におかれて組織的に遂行される。その眼目は読み書きをすることよりも書くことに集中される。そのために語彙、文法、作文が低学年から教えられる。方法はまず徹底的に分析的であり、語彙は一語一語吟味され、その定義と正しい用法が練習に課され、文法は細目にいたるまで作文によって訓練される。
こうした姿は現在の日本人から見れば、あまりに執拗な文化性への執着のようにも見える。ある程度フランス語の文化に触れた人間なら、フランス人ですらそれに違和感を持っていることも伺い知るがことができるからだ。例えば、2001年に日本でも大ヒットした映画『アメリ』(Le Fabuleux Destin d'Amelie Poulain)では、そのことが滑稽に描かれている。
心臓病があると誤診されたアメリという少女が、教師でもある母親から自宅でフランス語を学ぶシーンがそれだ。板書された、"Les poules couvent souvent au couvent. "(雌鳥は修道院でしばしば卵を覆う)という文章をアメリが読まされるが失敗し、母親にヒステリックに怒られる。このシーンでフランス人は笑いころげる。フランス人なら誰もがこれを学んだ経験があり、理不尽に思ったことがあるからだ。最初の"couvent"は動詞"couver"の活用形で/kuv/(クーヴ)と読むが、文末の"couvent"は名詞で/kuvɑ̃/(クーヴァン)と読む。同じ表記なのに読み方が違う。語彙が文章のなかでどのような品詞であるかを理解しなければ読むことができないのである。現代フランス語の動詞活用は、音声で聞けばかなり簡略化されているのに、正書法(ただしいフランス語の書き方)では殊更に複雑になっている。こうした書き言葉の規則をフランス人は徹底的に教育される。フランス語の正書法が音声と乖離してるのは、フランス語としての伝統を維持するためであり、強迫的な「構成原理への志向」が現れているからだ。
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