純化する魂と巨大な矛盾・森有正『遙かなノートル・ダム』4

哲学者・森有正の思想に迫る『遙かなノートル・ダム』評は4回目。今回は森有正自身の晩年と、その最晩年に森有正の著作に触れたfinalventさんの個人史を通し、「アンゴワッス(苦悩)」と「性欲」の関係を追います。

森有正の著作と人生の指針


遙かなノートル・ダム(角川文庫)

 他方、一定の人生の嵐(愛欲の嵐と言ってもいい)を経た人間にとっては、森有正の著作のなかに、その罪の痛みと普遍的な価値への確信が読み取れるはずだ。恋をまっとうし、そのことで罪にまみれた人間が、それゆえに人生の意味を深化させ、また平和の普遍的な意味を獲得するようになるのである。人生の意味は失敗でも成功でもない。深化であり、「促し」がもたらしうる恋の罪の味わいでもある。これほど若い人にとって明確な人生の指針はない。

 私自身、初めて森有正の『遙かなノートル・ダム』を読んだのは17歳の時だった。1974年である。本書が出版されたのは1967年だから、完全に同時代の読者とは言えない。1966年2月、雑誌『展望』に掲載された巻頭『霧の朝』に続き、同誌11月に『ひかりとノートル・ダム』、翌年2月に書名ともなる『遙かなノートル・ダム』の三作が書かれ、これらを軸に関連のコラムや講演をまとめ同年4月に筑摩書房から出版された。森有正が55歳の作品である。同書は1968年第18回芸術選奨を受賞した。

 装幀を担当した当時38歳の栃折久美子はその仕事を最後に8月31日に筑摩書房を辞して翌日、初めて森に出会った。森は和装であったという。書籍のデザイナーとして独立した栃折は、翌年改版された『バビロンの流れのほとりにて』の書籍も担当した。それをきっかけに彼らは独自な恋情を深めていった。彼女と森との秘められた恋愛は、四半世紀の秘密の後に彼女が書いた『森有正先生のこと』にまとめられた。私が想像していた森有正の一面が描き出されている。その中に印象的な会話が書き留められている。森有正があと二か月ほどで60歳になる日のことである。

 西荻窪の「こけしや」で、お昼をごちそうになった。
私が学生だったころからあった店で、懐かしかった。
「日本でいちばん絶望的なことは……」で、給仕が来て言葉がとぎれた。
「絶望的なことはなんですか?」
「ああ、本当に絶望している人がいないことです。向こうでは十六か十七の女の子でも、そういう人がいます。もしそういう人がいたら、わたしが結婚を申し込んでもおかしくないでしょう。わたしが六十歳でもですよ。」

 森は二度結婚をした。日本人とフランス人。どちらも破局した。私はその具体的な話は知らない。しかし、それがなぞる意味は彼の著作から理解できたし、彼が絶望に恋い焦がれたエロス性も理解できた。彼が恋情として求めて病まない絶望、つまり「アンゴワッス(苦悩)」こそ彼の尽きぬ性的な活力でもあり、そのまま矛盾を通して魅力となっていた。

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