「福島の食べ物ヤバい派」に4%が流れた
前回からの続きです。福島の産業について見るにあたり、まず農業・漁業、「福島の食べ物」の話からはじめます。前回、冒頭に2つの問いを出しました。繰り返しになりますが、こちらです。
問1 「福島県の米の生産高は全国都道府県ランキングで、震災前の2010年は何位で、震災後の2011年には何位か?」
全く想像がつかない人もいるかもしれませんが、大体こんなものかなという推測で答えて頂ければと思います。例えば、「1位から10位とか」「15位のままだ」「30位から20位へ」などの答えがあるでしょう。
問2 「福島県では放射線について、年間1000万袋ほどの県内産米の全量全袋検査を行っています。そのうち放射線量の法定基準値(1kgあたり100Bq)を超える袋はどのくらい?」
「全量全袋検査」というのを聞いたことが無い方もいるかもしれません。福島県内でとれる米、店に並ぶものも、そうではなく普通の家で消費するものも含めて「全ての量の米を、全て袋詰になっている状態で一括して行う検査」のことを指します。
同じ状態・同じ基準で放射線量を測定しているわけですが、どのくらいの袋が法定基準値超えしているでしょうか
答えは後ほど。
その前に、前回、「福島の食べ物」については、「福島の人口=減っている!」と違って、イメージがバラバラではないかと書きました。
まず、福島の食べ物に意識的な「食べて応援・知って応援派」と「福島の食べ物ヤバい派」がいる。その後ろに「フワッとした不安を持っている多くの人々」が控えている。そんな構造なのではないか、と。
こちら、「福島の食べ物」についての各種意識調査でも出てきています。例えば、消費者庁が最近行った調査「風評被害に関する消費者意識の実態調査(第4回)」があるので参照しましょう。この調査は2013年2月(第1回)、8月(第2回)、2014年2月(第3回)に続き、今年8月に行った4回目の調査で今年10月1日に公表された結果です。
この中で、放射線へのリスク認識について聞いている問いがいくつもあります。
例えば、
「Q20 あなたは、放射線による健康影響が確認できないほど小さな低線量のリスクをどう受け止めますか。」
これへの回答が「食べて応援・知って応援派」「福島の食べ物ヤバい派」「フワッとした不安を持っている多くの人々」の3類型の実情を量的に示してくれるかもしれませんね。
PDFの最後のページに書いてあることなんで、すぐ確認頂けると思いますが、まず、「小さなリスクでも受け入れられない」と回答した人が 16.4%→21.0%で増加した。
一方、「十分な情報がないため、リスクを考えられない」と回答した人が 27.7%→23.7%であり、やや減少した、とあります。
これ、前者は、「福島の食べ物」に限りませんが、「放射線量を明確に気にする」層の割合。ちょうど、「福島の食べ物ヤバい派」に重なるかと思います。これが、大体2割ぐらいですね。
他方、後者は「情報不足で判断保留」ということです。「いいのかなーどうなのかなー」という層。「フワッとした不安を持っている多くの人々」の一部と言っていいでしょう。
それで、両者の数字見ると、トレードオフ関係になってますね。前者と後者で4ポイントぐらい増減している。これまで判断保留だった人が4%ぐらい「福島の食べ物ヤバい派」に流れたと、少なくとも読み取れます。
この程度の変化を「かなり意味がある」と見るか、「たまたま今回の調査に限って」と見るかは判断が難しいですが、今後の変化を見続けていく必要はあるでしょう。
3分に1回、「放射能は危ない」と投稿する人たち
それで、この2つの数字、合わせても45%ぐらいです。
じゃあ、そうじゃない人たちはどんな人たちなのか。これは「ある程度の放射線量ある食べ物も気にしない」人たちです。
同じ質問で残りの選択肢を見るとこうなっています。
「現在の検査体制の下で流通している食品であれば受け入れられる」34.6%
「放射性物質以外の要因でもがんは発生するのだから、殊更気にしない」18.9%
二つ合せると53.5%で、半数を超えます。
過半数が、福島のものに限らずですが、「ある程度の放射線量ある食べ物も気にしない」わけです。
「食べて応援・知って応援派」の方、あるいは、「フワッとした不安を持っている多くの人々」の一部は、「ある程度の放射線量ある食べ物も気にしない」の層に含まれるでしょう。
と言うと、「過半数が放射線気にしない? ふざけるな! さては、政府と広告代理店の回し者だな? 安全キャンペーンか」と怒り出す人がいます。
「いや、少なくとも意識調査の結果としてそういう数字出てるんだから仕方ないじゃないですか」とか、「もちろん、それ以外の人は何らかの形で気にしているんですよ」「気にしている人がいようといまいと、安全かどうかの検査体制などはより整えるべきだと私も思っていますよ」と言っても許してくれない人もいます。
これ、社会心理学における「認知的不協和理論」で説明できます。
認知的不協和とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を指します。人は「あたしが思ってたのと違うわ!」と感じた時にストレスを感じ、その解消のために、無意識に自分の認識をカスタマイズ・正当化し、他者・外部を攻撃しはじめます。
有名なのがイソップ童話の「すっぱい葡萄」の話です。
おいしそうなぶどうを見つけたキツネはそれをとって食べようとするが、高いところにあって手が届かない。次第にキツネは自分の「葡萄がほしい」というイメージと「葡萄はとれない」という現実とのギャップに耐えられなくなる。そして、最後には「こんなぶどう、どうせ酸っぱくて美味しくないに決まっている」と勝手に逆ギレして去っていく。
これです。自分の当初からの強い思い込みがある人は、それを揺るがすような現実を示されると非合理的な強い怒りの感情を示します。
「そんな人、本当にいるの?」と思った方、集まっているところに集まっています。例えば、Twitterで「放射能」とか「被曝回避」を検索してみましょう。それでアカウント名のところやプロフィールに「脱原発・被曝回避」とか「3・11以降目覚めました」的なことが書いてある人のところを見に行くと、3分に1回程度ずっと「放射能」に関するニュース、とりわけ「放射線が危ない」という情報を流しているような方が一定数います。
こういう方々にとっては「みんなが放射線を気にしている、そうあるべきだ」という価値観は絶対です。その価値観を私は否定しません。一方で、事実上マイノリティ側にいる「強く気にしている」人達が、マジョリティである「特に気にしていない」人たちに価値観の押し付けをはじめてしまうと、様々な葛藤が生まれます。
現に、Twitterで同様に「被曝」などのワードで検索していただくと、そのような「強く気にしている」人たちを揶揄するような言葉があふれていることに気づくでしょう。
このような構造になると、少数者はますます意固地になって、自分の認知を正当化する、せざるをえないような焦燥感に陥り、強迫観念的に「本当はみんな不安なんだ」と思い込むようになります。
これが、仕事でもないし殆ど見られているわけでもないのに、「放射線ヤバいと3分に1回程度投稿」を生み出すメカニズムです。
もちろん、「福島の食べ物ヤバい派」の全てがそのような特異な精神状態・行動様式に陥る人ばかりではありません。冷静に科学的・客観的に、あるいは人に意見を押し付けないように放射線のことを考えていこうとする人も多いことは付け加えて言っておきます。
2つの数値から福島の産業が見える
さて、そんなわけで、認識の問題を示しました。先にも少し書きました通り、「気にしている人がいようといまいと、安全かどうかの検査体制などはより整えるべき」というのが私の立場です。「人々の認識の問題」と、「実際の線量の問題」や「実際の消費行動の問題」とは違うわけですから。
そこで、ずいぶんと引っ張りましたが、はじめに出した2つの問題について答えながら、「実際の消費行動は?」「実際の線量ってどのくらい?」という問題について考えてみましょう。
問1 「福島県の米の生産高は全国都道府県ランキングで、震災前の2010年は何位で、震災後の2011年には何位か?」
問2 「福島県では放射線について、年間1000万袋ほどの県内産米の全量全袋検査を行っています。そのうち放射線量の法定基準値(1kgあたり100Bq)を超える袋はどのくらい?」
「うーん、震災前が10位くらいで、震災後が20位くらい? 基準値超える袋の数は1%とか?」とか「震災前が5位、震災後もそのくらい。基準値超えは1万分の1で1000袋とか」「いやー、やっぱり震災前5位でも震災後30位とかじゃない? 基準値超えも数%とか、すくなくとも1万袋はこえているでしょう」なんていうイメージがあると思います。