森有正が抱き続けた性的な情念の力
私は森有正の著作を読み誤っているだろうか。彼の著作はいくつかの主要なキーワードからある明晰な理解につなげることもできる。しかし、私がここで「性欲」に意識を向けるのは、彼の著作を長く読んできた読者からすれば、彼が表向きには語らないこのことは密かに知っているから。彼もまたそれを想定していたと思われる。
愛の経験はあまりに複雑ですし、それを話すこと自体が不得手な上に、愛の経験を直接的に語ったりするとつまらないものになってしまうのです。自分にとってつまらないものは、人にとってもつまらない。そして、しまいにはこっけいになってきます。ですから、私が『バビロンの流れのほとりにて』を書きだしたのは、それをいわないためだったのです。そして書くべきことは、あれに全部書いたつもりです。かくすためではなく、あれを読み、あれを通してみんなに見てもらうために書いたのです。
森が1953年から56年に執筆し、57年に出版した書簡形体の著作『バビロンの流れのほとりにて』を著したのは、愛の経験を「いわないためだった」と言う。それでいて「愛の経験」を書き尽くしたとも言う。言わないための理由を書いたと言うのは、奇妙な修辞である。それは反語として、表向きに語らないためにすべてをそこに書いたと理解してよい。森の著作にはいつもこの種類の反語が隠れている。彼の深淵にも見える思想は、露骨にいえば「愛の経験」の直接性を物語らないための物語でもある。森有正の人生は何かを隠し、そのために書き続けられた。