いいとも!』前夜に取られたタモリの充電期間

『笑っていいとも!』が始まる直前の1981年、次々とタモリがメインの番組が始まり、CMなどにも次々出演し、人気も徐々に高まっていました。そこには、タモリの才能や努力はもちろんのこと、周囲の人間の協力もありました。その周囲の人達からの後押しも受け、密室芸と言われたタモリは「国民のおもちゃ」としてさらに飛躍していきます。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

36歳の地図—国民的おもちゃになったタモリ 3

タモリ・イヤーとなった1981年

1981年は、まさにタモリの年となった。すでにレギュラー出演していたNHKの『テレビファソラシド』に加え、4月には日本テレビの『今夜は最高!』、10月にはテレビ朝日の『夕刊タモリ!こちらデス』とタモリがメインの番組があいついで始まる。

『今夜は最高!』のプログラム・マネージャーを務めた日テレの中村公一によれば、タモリ起用の決め手は、土曜の夜11時という時間帯にあって、大人の鑑賞に耐えうるものを持っていることであったという。この番組でタモリは、2週続けて登場する女性ゲストをパートナーにホスト役を務め、そこに週替わりの男性ゲストが加わってコントやトーク、歌や演奏を繰り広げた。そのつくりこみ度合は前出の中村いわく「狂気に近いほど」で、徹夜は当たり前、少し音が映像とズレただけでも朝の8時、9時までかけて修正するこだわりようであったという。そうしたスタッフの努力にこたえるように、タモリも深夜までトランペットの練習やダンスの振りなどリハーサルに余念がなかった。ちなみに同番組で振りつけを担当したのは、ピンク・レディーの振りつけで知られる土居はじめである。

一方の『夕刊タモリ!こちらデス』は日曜夕方の番組で、タモリはニュースキャスターの役割を担った。プロデューサーのすめらぎ達也はその起用の理由を《ジャーナリスティックな中にタモリを放り込んで、うんといい遊びをして欲しかった。“毒も真なり”というものを作りたかった》と語っている(『週刊明星』1982年3月18日号)。同番組の視聴率は5%と一見低く思われるが、それでもその前の時間に放送されていた『こちらデスク』と変わりはなく、健闘ととらえられた。なお『夕刊タモリ!こちらデス』の「こちらデス」は、『こちらデスク』のもじりであったことはいうまでもない。

タモリはこの年、『こちらデスク』のキャスターだった筑紫哲也(当時、朝日新聞記者)と共演した朝日新聞のCMをはじめ、CMにも引っ張りだことなった。当時まだ公共企業体であった国鉄の新幹線のCMにも出演しており、タモリに対して世間がそれまでのいかがわしいイメージから、一転して信頼感を抱き始めたことがうかがえる。

『夕刊タモリ』への出演により、「タモリに本物を見た」という主婦層も増えたという(前掲書)。これと前後して、前年の1980年にニッポン放送で始まった『だんとつタモリ おもしろ大放送』を呼び水として、タモリは主婦を含め女性人気を獲得しつつあった。すでに同局では『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを務めていたタモリだが、深夜という時間帯ゆえリスナーは若い世代が大半だった。それに対し『だんとつタモリ~』は平日の夕方6時からと、主婦向けの時間帯に放送された。番組の内容も、タモリと主婦の電話でのやりとりを中心としていた。

ここで注意しておきたいのは、デビュー当初のタモリの女性からの嫌われようは半端ではなかったという事実である。本人も「女の子のファンは3人しかいなかった」と言っていたほどだ。《タモリという役者は髪真黒なのをぴたりと二つに分け、額から顔から全身ぬるぬるに光っていて私は見るや否やマジコンを手に取るや遅しとチャンネルを変えようと必死になる》と書いたのは作家の森茉莉だが(『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』)、そうした生理的嫌悪は当時の多くの女性が抱いていたことだろう。それだけに、主婦相手の番組にタモリを起用したのはそうとうな冒険であった。番組初回、ニッポン放送では、心配する社員たちがスタジオに集まり、かたずを飲んで生放送の様子を見守ったという。

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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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