大人は若者に「壮大な夢を持て」と、はっぱをかけます。
「今苦しくても、夢が叶えば幸せになれる。だから、歯を食いしばってがんばれ!」と諭します。
でも、ほんとうにそうなのでしょうか?
「月に行けたら……」
英語に「ask for the moon」という表現があります。直訳すれば「月を要求する」。実現するはずがない不可能を求めることで、よく「ないものねだり」と訳されます。
第二次世界大戦後、アメリカ合衆国とソビエト連邦は冷戦状態にありました。両国は軍事力を示す科学技術で「世界のリーダー」の座を競い、その主な戦場になったのが一九五五年から始まった宇宙開発でした。ソ連は一九五七年にスプートニクを打ち上げ、一九六一年に有人宇宙飛行を成功させました。
宇宙開発競争でソ連に一方的に先を越されていたアメリカには、焦りがありました。対抗するために慌ててアラン・シェパードが乗ったフリーダム7号を打ち上げたのですが、それは面目を保つためのわずか十数分間の弾丸飛行にすぎず、ユーリイ・ガガーリンの達成した地球周回には遠く及ばないものでした。
「人類を月に送る」―。
宇宙開発競争の遅れを挽回するためにアメリカが思いついたのが、この計画でした。これほど壮大な計画であれば、アメリカがソ連に追いつき、追い越すことも可能だからです。
一九六一年にケネディ大統領が発表した「十年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という目標は、こういう背景で生まれたのでした。
アメリカのそれまでの打ち上げ実験は、惨めな失敗の連続でした。次々と爆発するロケットを記録したドキュメンタリー映画を観ると、よくあれで月に人類を送るなどという大それた夢を抱けたものだと呆れるほどです。
成功する可能性がほとんどない時点で月に行くことを志願した宇宙飛行士たちも、今日の私たちが思う以上に大きな夢を抱いていたことになります。夢が叶うよりも地上を離れる前に死ぬ可能性のほうが高かったのですから。
それなのに、映画にもなった有名な13号をのぞく11号から17号までの六機のアポロ飛行船は、この「叶いっこない夢」を実現させたのです。
月に着陸できるのはそれぞれのアポロ飛行船で船長と月着陸船パイロットのふたりだけなので、「月に降り立つ」という夢を叶えたのは人類史上たったの十二人しかいません。
それほど壮大な夢を叶えたのですから、彼らは想像もできないほど幸せになったはずです。
でも、そうではありませんでした。
「成功」は幸せを約束しない
今も健在のアポロ宇宙飛行士のなかでもっとも有名なのは、アポロ11号月着陸船パイロットのバズ・オルドリンでしょう。
人類で初めて月に降り立ったのはアポロ11号船長のニール・アームストロングなのですが、彼は二〇一二年に亡くなるまで徹底的にメディアを避けました。彼に続いて月面に降りたオルドリンは、アームストロングとは対照的にメディア露出を好み、月面を歩いた「ムーンウォーカー」の代表者として扱われるようになりました。
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