第1回】システムを変えるには独立しかなかった

「日本に作家のエージェント業を根付かせたい」という想いから設立された、新会社「コルク」。社長の佐渡島庸平さんとともに、新しい挑戦に乗り出したのが、元講談社の文芸編集者・三枝亮介さん。作家とのスクラムを大切にし、阿部和重さんや伊坂幸太郎さんなどの実力派作家たちに信頼をおかれる三枝さんが、コルクの舟の漕ぎ手になった理由とは。聞き手は『文章ってそういうことだったのか講義』の古賀史健さんです。

マンガから文芸へ、異色の経歴

— まずはコルクの創業、おめでとうございます。

三枝亮介(以下、三枝) どうもありがとうございます。

— 文芸の編集者って、意外と謎の多い存在というか、表に出てくることが少ない方々なので、今日は三枝さんにインタビューできること、楽しみにしていたんですよ。

三枝 いやいや、お手柔らかにお願いします(笑)

— まず、三枝さんの経歴から簡単にお聞きしましょう。新卒で講談社に入られた当時、最初はマンガの編集部だったそうですね。

三枝 はい。2001年入社で『週刊少年マガジン』に配属されて、『ゴッドハンド輝』(山本航暉)や『あひるの空』(日向武史)、それから『探偵学園Q』(原作:天樹征丸、作画:さとうふみや)、さらに『金田一少年の事件簿』(原作:天樹征丸/金成陽三郎、作画:さとうふみや)などを担当していました。

— もともとは文芸志望だったわけですよね。文芸に異動したのは何年後ですか?


三枝 2005年なので4年後ですかね。文芸図書第一出版部という、純文学系の書籍を編集する部署に異動になりました。ここは文芸誌の『群像』で連載していたものを本にしたり、作家に書き下ろしで執筆していただいたり、他社の媒体で掲載されたものをまとめて本にしたりする部署です。

— そのあと『群像』編集部に移るわけですね。

三枝 はい。文芸第一に3年いたあと、2008年に異動でした。

— じゃあ「ようやくあこがれの『群像』に来たぞ!」という感じだったんですか?

三枝 いや、それが意外と違ってて。

— あれれっ?

三枝 もちろん『群像』は学生時代から愛読していましたし、強いあこがれも持っていました。ただ、マガジンから文芸第一に異動して1年間くらいは、前任者の引き継ぎ仕事をこなすので精いっぱいだったんですよ。
 それで2年3年と経って、ようやく『変愛小説集』(岸本佐知子編・訳)のような自分が立ち上げから携わった本が出始めて、結果も出るようになったところでの異動だったんです。だから、「まだ早すぎる、もう少し文芸第一にいさせてくれ!」というのが正直な気持ちでしたね。

— やり残したことが多かった。

三枝 もちろん、僕のがんばりに期待してくれての異動だったので、そこは前向きに受け入れましたけど。それで『群像』に4年間在籍しました。

— 『群像』では主にどんな作品を担当されたんですか?

三枝 とても全部は紹介できませんが、たとえば大江健三郎さんの「晩年様式集」、蓮實重彦さんの「映画時評」、大澤真幸さんの「<世界史>の哲学」。それから、星野智幸さんの「夜は終わらない」、山城むつみさんの「ドストエフスキー」、長島有里枝さんのエッセイ「背中の記憶」。

— 長島有里枝さんの「背中の記憶」は、講談社エッセイ賞も獲られたエッセイでありながら三島賞候補になりましたね。

三枝 はい。あとは阿部和重さんだと「ピストルズ」や「クエーサーと13番目の柱」がありますし、伊坂幸太郎さんの「PK」、山崎ナオコーラさんの「昼田とハッコウ」。それから、田中慎弥さんの「燃える家」、野崎歓さんの「異邦の香り」といった作品を担当しました。
 また、海外の文芸誌『GRANTA』と提携を結んだり、「戦後文学を読み直す」といった企画を始めました。
 そして今年の6月まで働いたあと、文庫出版部に異動して、10月から独立するかたちになります。

文芸編集部で感じたギャップとは?

— 三枝さんのキャリアがおもしろいのは、少年マンガというエンターテインメントの極致から一転して純文学のど真ん中に行ったところ、しかも両方の分野で結果を残してきたところです。少年マンガから純文学に移ったとき、ギャップは感じませんでした?

三枝 それは、やっぱりありましたよ。

— 具体的には?

三枝 文芸第一に異動して初めての会議が、群像新人賞の受賞作を単行本化するための会議だったんですよ。

— おお、おもしろそう。

三枝 それが、初版を4000部にするか4500部にするかで2時間くらい延々と会議していたんです。

— ……おおお。

三枝 それまで『週刊少年マガジン』で350万部という、当時日本一の部数を誇っていた雑誌にいて、そこではコミックスも10万部売れてても打ち切りがチラつくような状況だったんですね。だから正直「500部の差なんてどうでもいいよ」と思っていたんだけど、半年もすると、自分自身が500部を上乗せするために会議でがんばっている。

— 文芸編集者へのあこがれが強かっただけに、ショックも大きかった。

三枝 ええ。しかも僕が文芸第一にいた3年間のなかでさえ、文芸の売上げはずいぶん落ち込んでいきましたから。

— そこのところ、ぜひ聞きたかったんです。どうして文芸は売れなくなったのでしょう?

三枝 最初は、純粋に努力不足だと思っていたんですよ。やっぱりマンガ家たちの努力って、ものすごいものがあって、毎日寝る間も惜しんで原稿を描いているし、編集者とどんなに衝突しようと納得いくまでギリギリのところで勝負している。あの365日ぶっ続けで働きまくる姿は、ちょっと他では見たことがない種類のものですよね。

— 20ページなら20ページ分のストーリーを考えて、ネームを切って、ペン入れをして、それが毎週ですから。

三枝 編集者にしても同じで、やっぱり『週刊少年マガジン』にいると、作家にいろいろ教えていただいたり、先輩編集者から受け継がれる「おもしろいマンガ」をつくるスキルやノウハウがたくさんあったんです。
 少なくとも僕がいた当時のマガジンでは、編集者が毎日のように打ち合わせして、具体的なアイデアを提案して、新人発掘にも力を入れて、プロとしての「編集」をやっていました。この人が編集だからこの作品が生まれた、この作家が育った、というのが見えやすかった。
 ところが文芸の場合、日々の業務に費やす時間やプレッシャーは同じなんだけど、たとえば作家とゴルフに行くとか、お酒を飲むとか「関係をつなぎとめる仕事」の比率も多いんですよね。具体的に作品づくりについてのアイデアを出し合ったり、衝突覚悟で議論するような時間が少ないというか。

— うーん、たしかにステレオタイプな話をすると、文芸の編集者さんって「玉稿いただきます!」みたいなイメージがあります(笑)

三枝 原稿をもらってくるという意味ではちゃんと仕事をしているんだろうけど、具体的にその作品にどんな貢献をしているのか、よくわからなかった。忙しいのは間違いないし、努力もしている。でも、努力の方向性にもっと幅があるべきだと思ったんです。

— もっと編集者らしい仕事をすべきだと。

三枝 文芸編集者たちって目の前の仕事、つまり「原稿をもらってくる」「印刷所に渡す」「ゲラが上がってきたら校閲に渡す」といった一連の作業で手一杯なのですが、それってじつは誰でもできる仕事じゃないかと思えてきたんです。
 たとえば、印刷所の方々は「印刷のプロ」としての仕事をしていて、校閲の方は「校閲のプロ」としての仕事をしているわけですよね。 もちろん作家は「作家のプロ」としての仕事をしている。
 ひるがえって、僕ら編集者はプロとしての仕事をしているのか。そもそも編集者にとってのプロフェッショナルとはなんなのか。

「人」の問題ではなく「システム」の問題

— いや、そこはコルクの根幹部分にも重なってくるので、あとで聞かせてください。ちょっとここまでの話を整理しましょうか。
 文芸が売れなくなった理由として、当初は作家や編集者の努力不足だと感じていた。でも、少しずつ考え方が変わってきたんですよね?

三枝 ええ。僕だって『週刊少年マガジン』という比較対象があったからこそ、そんな違和感を抱いただけで、最初から文芸にいたらなにも感じなかったでしょう。そこを一方的に責めるのはフェアじゃないと思います。

— じゃあ、根本原因はどこにあるんですか?

三枝 それは、「人」の問題ではなく、「システム」の問題なのかなと思います。

— ほう。

三枝 たとえば文芸書の出版点数、つまり刊行される本の数だけでいうと、昔よりもいまのほうが増えているんですよ。ところが文芸部門は儲かっていないので、文芸編集者の数は減らされている。

— ということは、編集者一人あたりの担当作家は大幅に増えている。

三枝 そうなんです。そして担当作家が増えるほど、ひとつの作品にかけられる時間は少なくなる。上から下への伝承もあまりなく、目先の原稿を取ってくることで精一杯になってしまう。文芸編集者でありながら本もほとんど読めなくなってくる。
 実際、昔の文芸編集部は若手がたくさんの本を読んで、映画やお芝居を観て、あるいは先輩たちから学んで、自分自身を成長させるための時間があったらしいんですね。

— 文芸が売れない、売れないから編集者を育てる余力がなくなる、そして作家を育てる力も低下する。深刻なスパイラルですね。

三枝 だからこそ、コルクというエージェントを通じて、システムそのものから変えていきたいんです。作家と向き合うときに、数年に一作品という単位ではなく、何十年間にわたってずっと支えていきたい。しかも、作品を生み出すところから、雑誌掲載、単行本や文庫の出版、さらに版権の運用にいたるまでトータルにお仕事をご一緒したいんですよね。

作家とスクラムを組むことの意味とは?

— 問題なのはシステムだとした場合、具体的にコルクではなにを変えていくのでしょう?

三枝 まず、僕が『週刊少年マガジン』から文芸に移ったとき、マンガのときと同じように具体的な提案をおそるおそる作家にぶつけてみたんです。

— おお、反応はいかがでしたか?

三枝 それがすごく喜んでいただけたんですよ。いいと思った意見は積極的に取り入れてくださるし、よりよいアイデアを話し合いの中で出してくださる作家もいらっしゃいました。やはり、一流の作家はとても柔軟なのだなと実感しました。

— 作家さんたちも、しっかり意見してくれる編集者を望んでいたのかもしれないですね。

三枝 でも文芸の場合、作家たちは次の作品を他社で書くんですよ。マンガだったら『週刊少年マガジン』とか『モーニング』とか、ひとつの媒体で長く描いてもらうことができるのですが、文芸ではそれがむずかしい。そのため、作家と編集者が二人三脚で成長していくような体制がつくりにくいんです。

— なるほど。

三枝 そのときちょうど、何人かの作家と、長いスパンで仕事をしていきましょうと意気投合させていただきました。たとえば、ほぼ同世代でもある平野啓一郎さんと一緒に、対談集の『ディアローグ』と評論集の『モノローグ』をつくったのですが、平野さんも僕と同じような危機意識を持っていたんです。

— 編集者とがっちり肩を組んで数作単位で作品をつくっていく環境にない、と。

三枝 ええ。たとえば『群像』で連載して、それが単行本になって、最終的に文庫化されるという流れがありますよね。このとき、雑誌と単行本と文庫で、それぞれ部署も違うし担当編集も違うんですよ。

— それ、意外と知られていないことですよね。

三枝 そうなんです。だからひとつの作品が連載から単行本、文庫へと流れていくとき、作品全体をトータルで見られる編集者がいない。しかも、出版社には数年ごとに人事異動があります。
 さまざまな意味で、作家と長期間肩を組んで仕事ができる編集者がいないんです。

— うーん、複合的な問題なんだなあ。

三枝 そこで平野さんに「数冊単位でじっくり一緒に取り組みましょう」とお声掛けして、チーフ編集として『ドーン』、サブ編集として『空白を満たしなさい』、それから新書の『私とは何かー個人から分人へ』の3冊に関わることができました。

— いずれも平野さんの「分人主義」をテーマにした作品ですね。

三枝 分人主義のように大きなテーマを掘り下げていくのは、やっぱり単発の関係ではむずかしい。作家と編集者が問題意識を共有しながら、数年がかりで複数の作品に取り組む。そして成功も失敗も共有する。そんな関係を築いていかないと、いま文芸が陥っている状況は打破できないと思うんです。

— おもしろい。

三枝 作家も講談社の編集だったら誰でもいいというわけじゃないし、「この編集者だから」という部分で信頼をおいてくださっている。でも、せっかく信頼していた編集者がいたとしても、人事異動でいなくなる可能性があるわけで、そこへのリスクヘッジとしてたくさんの出版社と付き合わざるをえない。ひとりの編集者に全作品を預けたり、ひとつの出版社だけと付き合い続けるのは無理がある。
 でも、そういうリスクが払拭されるのなら、ひとりの編集者と深く長い信頼関係を築いていきたいと思っている作家は多いのではないか。そのへんのシステム的な壁に突き当たっていたとき、佐渡島くんから一緒に独立しないかと声をかけられたのです。

— おお、いいですね。

<次回は12月14日(金)更新予定>

 

三枝亮介(さえぐさ・りょうすけ)
株式会社コルク 代表取締役副社長。2001年講談社入社。2001年~2005年週刊少年マガジン編集部、2005年~2008年文芸図書第一出版部、2008年~2012年群像編集部、2012年文庫出版部に在籍。2012年9月に講談社を退社、10月に佐渡島庸平氏とともに作家のエージェント会社、コルクを設立。
コルク:http://corkagency.com/
twitterアカウント:@saegusacork


インタビュー
古賀 史健(こが・ふみたけ)

フリーランスライター。1973年生まれ。一般誌やビジネス誌で活動後、現在は書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、実用書、ビジネス書、タレント本などで数多くのベストセラーを手掛ける。臨場感とリズム感あふれるインタビュー原稿にも定評があり、インタビュー集『16歳の教科書』シリーズ(講談社)は累計70万部を突破。2012年、初の単著となる『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)を刊行した。cakesでは『文章ってそういうことだったのか講義』を連載中。
ブログ:FUMI:2
Twitterアカウント:@fumiken

写真

キベ ジュンイチロウ
1982年生まれ。福岡県出身。大学新聞部での取材をきっかけに写真を始める。在学中から、フリーランスとして仕事をはじめ、大学卒業後はベンチャー企業に5年間勤務。2011年、独立してフリーランスに。得意な被写体は「人」。
オフィシャルサイト:http://www.kibenjer.net/

 

コルク

この連載について

未来を切り拓く作家たち 株式会社コルク・三枝亮介インタビュー

古賀史健

「日本に作家のエージェント業を根付かせたい」という想いから設立された、新会社「コルク」。社長の佐渡島庸平さんとともに、新しい挑戦に乗り出したのが、元講談社の文芸編集者・三枝亮介さん。作家とのスクラムを大切にし、阿部和重さんや伊坂幸太郎...もっと読む

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