上橋菜穂子【後編】ひとつの場所にはいられないし、いてはいけない

累計380万部を超える『守り人』シリーズや、累計200万部を超える『獣の奏者』シリーズで知られ、今年国際アンデルセン賞を受賞するなど、異世界を舞台にした壮大な物語を紡いできた作家・上橋菜穂子さん。早くも20万部を突破した話題の新作『鹿の王』について話を伺いました。後編は、日常生活の中で、「共に生きるとは、どういうことか」を考えながら、真実を探す感覚について伺いました。

誰が正義であるという書き方はできない

— 『鹿の王』で印象的だったのが、誰が正義で、誰が悪だと決めつけていないことでした。征服する側が悪で、征服されている人はみんなかわいそうで、国を取り戻すのが正義だとどこかで思っていたんですけど、同じような立場でもそれぞれに異なる事情や思いがあるということに、改めて気づかされました。

上橋 その図式が普通ありますよね。私の中では、その図式をいかに解体していくかが、ずーっと興味の対象だった。もちろん、それは正しいんですよ。先住民は実際とてもひどい目にあったわけだし、支配されてうれしい人たちなんていないし、人が人を支配するなんて、絶対やっちゃいけない。
 ただ、支配の結果、一つの社会が出来上がった時に、その中で生きていく人たちが暴力によってその状況をひっくり返そうとすると、悲劇が産まれる。そうした悲劇を私はよく知っているわけです。

— 人類学の調査の中で、実感されたことなのですね。

上橋 そうなんです。暴力ではない形で先住権を回復させてきたアボリジニたちもいる。白人とアボリジニの間に生まれた子供たちもいる。征服した側であることをどこか申し訳ないと思いつつ、一緒に暮らしていく今をどう生きるか探している白人の子供たちもいる。征服を経験した世代が既に遠くなった今のオーストラリアでは、本当に様々な立場の人が共に生きる方法を模索しているんです。

— なるほど。

上橋 オーストラリアはね、征服者としてやってきた白人対先住民であるアボリジニの対立というイメージしかないかもしれないけれど、実はそんなこともないんです。後から移民が大量に入ってきて、その移民たちと先住民であるアボリジニとの間でも、様々な問題が起きている。

— それは知りませんでした。

上橋 例えば、第二次世界大戦後に、イタリアからの貧しい移民がたくさん入ってきた。彼らが安い労働力として働き始めたことで、アボリジニの働き口が取られてしまったこともあったそうで。だからね、アボリジニのじいさんが「スパゲティを茹でるにおいが漂ってくると、くっそー!と思う」って(笑)。

— それはまた生々しい証言ですね(笑)。

上橋 しかし、イタリア移民からすると、新しい土地に来て、一生懸命、日常生活を過ごそうとしているわけです。自分の国では食べられなかった人たちが、新しい土地に根付いていく姿ですよね。

— どちらの立場にも、事情があり、思いがあるのですね。

上橋 日常生活の中で、「共に生きるって本当はどういうことなんだろう」ということについて考えさせられる、本当に多くの事情に出会ってきました。
 そういう話をひとつひとつ聞いてきた私は、何かを見るのに、固定されたひとつの場所にはいられないし、いてはならないって気がするんだと思う。だから、誰が正義である、という書き方もできないんじゃないかな。

北風が吹くほどに、人は頑なに信じようとする

— 読んでいる時にも思ったのですが、自分が信じることが、絶対の正義だと思い込んでしまうのは、とても怖いことですね。

上橋 そう、大きな悲劇って、ある一つのことを、理屈を超えて正しいと思い込んでしまう時に起こりますよね。多分ね、少しは間違っていることを、本人もわかってるんです。だからね、否定されると、強く反発してしまう。コンプレックスのようなものです。コンプレックスって指摘されると、「そんなことねえよ!」って過剰に反応したりしませんか?

— 確かに!

上橋 それと同じように、自分が信じる正義もね、否定されたくないから、余計に頑なになって、追いつめられていく。それが実は一番怖い。私ね、「北風と太陽」の話がずーっと心の中にあるんです。北風が吹けば吹くほど、つまり、否定されれば、されるほど、絶対に人間ってより固く固く信じようとする。信じないとつらいから。太陽でない限り、服を脱がせることは絶対にできないんですよ。

— 今の社会で起きている問題を思い浮かべてみても、本当にそう思います。

上橋 でもね、よく勘違いされるんだけど、私は決して、政治的なこととか、自然を守りましょうっていうメッセージを書きたいわけじゃないんですよ。書いている最中、そんなこと考えていないんです。でも、書いている最中に一人一人の立場が見えてくると、それが自然に社会の網の目のなかにとらえられて現れてくる。それだけのことなんです。

— 個人と社会がわかちがたく結びついているというわけですね。

上橋 そう。個人が社会と外れて、動けることって多分本当に少ないだろうと思う。常に何かの形でね、関わっているような気がする。

“裏返った”瞬間、スローモーションになった

— 『鹿の王』には、複雑な社会状況の中で、国や民族の境に立ち、自分や周囲の人々が共に生きる道を探る人々が描かれています。上橋さんはこれまでの物語でも境にいる人々を描いていらっしゃいますよね。

上橋 そうですね。意識して書いているわけではないのですが、多分、境目にある人ほど、いろんなものが見えると私は思っているんだと思う。

— 中でも、ヴァンは人と獣の境に立つ人物ですが。

上橋 私ね、犬や猫にとても興味があるんですよ。犬や猫はどうやって自分が生きていることを感じているんだろうなあって。猫など、普段は泰然自若として寝そべっているのに、死ぬ前には、ふらっといなくなったりする。死をどんな風にとらえてるんだろうなあって思うんです。人間はどうも生物としての体を忘れがちですけど、彼らは生物としての生と彼ら自身が外れていない感じがする。

— ヴァンの魂と体が“裏返し”になり、獣の世界を体験するシーンは圧巻でした。あのシーンを書きながら、実際、上橋さんは獣の世界を感じていらっしゃったわけですか?

上橋 そんなわけないけど(笑)でも、なんというか、言語より、五感が主になっちゃう感覚になってきて……。私たちって、何をしている時でも、常に頭の中でしゃべっているでしょ。考えていることを、言語化している。ところが、そういう言葉が遠くなる感じがやってきて……。だから、言葉が出なくなってくるんですね。
 書いててすごくおもしろかったのが、裏返ったヴァンの姿が浮かんできた時にね、周りがスローモーションになったの。草や虫が動くのも、全部ゆっくり見える。どうしてそうなったのかは、未だによくわからないんですけど。そういう時って、お、来たぞ! しめしめって思うんです。

— しめしめ、ですか?

上橋 物語脳が動き始めてくれたって感覚、かなあ。その感覚が動き始めるとね、すごく気持ちいいの。書ける!書ける!って感じになってくる。もちろん、客観的に外側から見ている作家脳の上橋もいるわけですよ。書きながら、これはこういう風に書いちゃいけないだろうって、客観的に整えていくわけですね。でも、整えているだけだと、走らないんですよ、物語が。だから、まわりがスローモーションに見えたり、匂いがしてきたり、というのが始まると、来た来たー!って思う(笑)。

文化の壁を越えて、物語が届いたと感じた瞬間

— 上橋さんは今年で作家デビュー25周年を迎えられたそうですね。そんな記念すべき年に、国際アンデルセン賞の受賞、おめでとうございます。

上橋 ありがとうございます。・

— 児童文学のノーベル賞とも言われる世界的な賞ですよね。授賞式はメキシコで行われたとか。

上橋 そうなんです。授賞式の時は、11か国の審査員が一つのテーブルにいましてね、そこに挨拶に行くことになったんです。ドキドキして行ったら、彼らは、「おー! ウエハシ! 君にこの賞をあげられて、ぼくら、本気でうれしいよ! バルサ、最高!」というかんじで明るく迎えてくれたんですよ。

— おお、国境を超えて『守り人』シリーズのバルサが愛されている!

上橋 その時の彼らの表情から、「本気でおもしろかった」という気持ちが伝わってきたんです。私が子供の頃、イギリスの児童文学を読んで「ああ、すごい! おもしろかったなあ!」と感じたのと同じような感覚で、おもしろかったと言ってくれていた。あ、よかった、私の物語って文化の壁を越えて、他の人たちもやっぱりおもしろいと思ってくれる部分があるのかと思えたことが、とても幸せでした。

— 25年にわたり、世界中で愛される物語をいくつも生み出してこられたわけですが、ここまで上橋さんを動かしてきたモチベーションって、何なのでしょうか。

上橋 私ね、気づいていないような気がして怖いんです、生きるということの真実に。できれば死ぬまでに、「生きることというのは、なるほどこういうことだったのか」ということに気づきたいなというのが多分、あるんだと思う。それに気づかないまま、死んでしまったら、それは、ある意味、物語のラストシーンを読まずに死ぬようなものだって感じがするというか。
 だから、その真実を探している感覚がずっとあって、それが私のモチベーションになっているんだと思う。もしかしたら、この世の中に、ラストシーンはないのかもしれないんですよ。でも、いつも、それを探している自分がいますね。

— どの言葉も深くて、不思議で、力強く温かで、まるで物語を聞かせていただいているようでした。生きることの真実に迫る、新たな物語を、今から楽しみにしています。ありがとうございました。


(おわり)

上橋菜穂子(うえはし・なほこ)

作家・川村学園女子大学特任教授。文化人類学専攻、オーストラリアの先住民アボリジニを研究。1989年、『精霊の木』で作家デビュー。著書に、第34回野間児童文芸新人賞、第44回産経児童出版文化賞≪ニッポン放送賞≫をダブル受賞した『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、第42回野間児童文芸賞を受賞した『狐笛のかなた』、「獣の奏者」シリーズなどがある。海外での評価も高く、2009年、英語版『精霊の守り人』で米国バチェルダー賞を受賞。2014年、“児童文学のノーベル賞”と称される国際アンデルセン賞≪作家賞≫を受賞。綾瀬はるか主演で『精霊の守り人』が2016年春からNHKでドラマ化されることも決定。

構成:小山田桐子 写真:渡邊有紀


鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐
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鹿の王 (下) ‐‐還って行く者‐‐
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コメント

tricksterex 現代のシャーマンというか巫女というか。今年の夏は読書だな~。 2年弱前 replyretweetfavorite

int13z 北風が吹けば吹くほど、つまり、否定されれば、されるほど、絶対に人間ってより固く固く信じようとする。信じないとつらいから。  約3年前 replyretweetfavorite

rainaitou 書いた人に聞いてみた。|cakes編集部 @cakes_PR |cakes(ケイクス) 3年以上前 replyretweetfavorite

takurokoma このインタビューにもあるように、主人公が獣の自分に変わっていく描写が圧巻でした。 3年以上前 replyretweetfavorite